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手紙うれしいな

すごいやさぐれてるけど書きたいことができたから書く。

お楽しみ袋

郵便が届きました。素朴な封筒で、2通目の。
その方は嘘をつかないし華美な言葉も使わない、お腹の底から出てくる言葉だけを使っていて、温かくて優しくて楽しい方です。

その方には先日、「母が亡くなり、今は気分が落ちてどうしようもなくなる」というのを近況と共に、一瞬かつサラッと伝えていました。

素朴な封筒を開けると、透明の袋の中に手紙が入っていて、わくわくしました。お楽しみ袋をもらった時の気持ちです。

読むと、メインではなかった「一瞬かつサラッと伝えたこと」についての想いを綴ってくださっています。

真ん中らへんに、こんなことが書いてありました。


餅さんはたくさん好きな音楽があって、
音楽に愛されているんだと思います。


それまで考えていたことの何もかも全部が飛んでいきました。
誰かに心を開くのが好きじゃないんで、でも、久しぶりに誰かがスーッと入ってきてくださるなんて驚きました。誰かに入ってきて欲しかったと思ってたっぽくて、すごく嬉しくなりました。嬉しいといっても、喜ぶようなかんじではなくて、すがるようなかんじです。

ちょうどよかったんです。タイミングも相手も。自分にもこんなことってあるんやなあと思いました。今週は売るほど涙が出てくる。

評価

私は自分に対する人からの評価に恐怖や不安を持っていて
自分が誰かに愛されることなんてあるものか、と思っています。
謙遜ではなくて、自分がどんな人間なのか、よくわからなくて、何をもって自分のような人間が愛されるのか、定義がわからない。

定義なんて要らないのかもしれないし、自分以外の人に対して定義づけなど考えたこともありません。
そもそも評価なんて要らないし気にしなくていい、と他の人には思うのに
自分のことになると気になって仕方がありません。

人に言うと、普段の印象と違っているので冗談だと受け取られます。

昔よりはちょっとマシになってきてるけど、小中学校でのいじめがあってからは、だいたい「自分は嫌われている」と思いながら人の顔色を見ています。

怖くて厳しい父

子どもの頃、私は父のことを「怖くて厳しい」と思っていました。
父を怒らせないようにびくびくしていました。
ビールを飲んでいる時は「おもしろいおじさん」と思っていたけど。

子どもの頃、姉とよく喧嘩をしていました。
姉は私を「生意気」と言い、私は姉を「意地悪」と言って、どちらからともなく嫌味を言い合い、ほぼ私が負けていました。8歳も差があると、姉の使う言葉の方が強かった。質は悪いけど。

ある日の夜、夜ご飯の食べ方だったか、テレビのチャンネル権争いだったかきっかけは忘れたけど、いつもの如く喧嘩が始まって、それはもうひどく炎上しました。売り言葉に買い言葉。最終的に私は姉が言った「出ていけ」的な言葉に「出ていけばいいんでしょ!いなくなってやる!!」と怒鳴って家を飛び出しました。

季節は冬で、とっても寒かったです。
私は泣きながら坂を下りて後楽園ゆうえんちの方へ歩いていきました。子どもだったので、今後どうやって生きていくかなんてものは考えてなかったし、とにかく頭に血が上って、どんな言葉を使っても姉には勝てないし、だれも助けてくれない。私なんて要らないんだ、というのが悲しくて「もう!もう!」と言って泣いていた記憶があります。

後楽園駅の前の歩道橋をうろうろしながら、時間が経つにつれて
「おトイレ行きたくなったらどうしよう」
「今日どこで寝ればいいんだろう」
「あしたのごはんどうしよう」
みたいな現実的なことが次々と浮かんできます。
1~2時間くらいは歩いていたと思いますが、もう足も痛いし寒いしおトイレにも行きたいし「文京区から出たらだめだ」という道徳心もあって、とりあえず家に戻ってみることにしました。カッコ悪いなあ、って思いながら。

怖いかと思ったら怖くなかった

坂を上がったところで、母の姿が見えました。
私の頭の中は「やばい怒られる」しかありませんでした。
でも、母は「よかった、寒かったでしょ」と言うだけで、怒っていませんでした。もしかしたらちょっと泣いてたかもしれません。

私は、姉への怒りと、すぐ帰ってきちゃったカッコ悪さと寒さで何も言えずにいましたが、母は「お父さん怒ってないから。すぐお風呂であったまりなさいね」と家に入ってお風呂に入るよう促してくれました。

父はきっと鬼のような顔をして、たぶんビンタしてくると思ったけど、次に母の口からでた言葉に驚きました。

「お父さんずっとね、走って探し回ってるんだよ。いま菊坂の方まで見に行ってる。でも怒ってないからね、大丈夫だからね」

お父さんが私を探しに行った・・???
お父さんて走るんだ・・
しかも、怒ってないとかほんと???????
ていうか、菊坂なんてぜんぜん逆方向なんだけど!!
(なんだか夜はあまりよくない気配を感じているエリアなんで
友達やいとこの家から呼ばれる以外は行かない場所です。)

お父さんごめんなさい、って思いました。

とりあえずお風呂に入って、つま先の感覚がなくなっていたのか、そこだけお湯が水にしか感じなかったのを覚えています。そして、父が帰ってきて声が聞こえてきました。お風呂からでたらぶっ飛ばされるかなあ、とびくびくしたけど、母の予言通り、父は全く怒っていなくて、普通でした。

ドラマでは子どもがいなくなると、必死かつ心配そうな親の様子が映し出されます。私は自分のお父さんとお母さんがそういう風になるとは夢にも思っていなかったので、その日はずっと布団の中で泣きました。

怒られるのが怖いとか悲しいという気持ちではなくて、「お父さんとお母さんが探し回ってくれていた」ということに対しての涙で、はじめての気持ちでした。
たぶん、愛されているんだ、ということを初めて実感した日です。

私はそれに勝るものに出会わないまま、何十年か生きてきました。

でも、先日お寺で遺体となった母に「お母さん、わたしだよ、福岡からきたよ、みんな揃ったよ」と声をかけた時は、あの日と同じような空気があった気がします。
母が心配で、みんなが心配で不安で、やっと逢えてホッとしたからです。

大好きな音楽

私は幼稚園で教わる歌やテレビで誰かが歌っている曲にいつも心を惹かれて、ピアノのレッスンだけは好きじゃなかったけど、音楽のことが毎日大好きでした。

人に対しては顔色を見てしまうけど、音楽は自分の好きなようにできます。最初はメロディーに歌詞がついている音楽が好きで、その後学校やソルフェージュの教室で聴くクラシックにも心地よさを覚えました。
歌うことが好きだから、自分の好きな歌声やメロディーの曲を歌う歌手に夢中になって、だんだんそれを取り巻く楽器の音も好きになりました。好きなフレーズはいつまでも自分の中に留まっています。
手元にラジオやウォークマンがなくても、自分の頭の中にあるプレーヤーでいつでも再生できます。

最近はサブスクリプションというものが登場してくれたので、すごく昔にちょっとだけ聴いていた曲や、なんだか気になってるけど誰のなんという作品なのかわからない曲と突然再会できたりしています。
流れている曲について調べてくれる「Shazam」のアプリにもだいぶお世話になっていて、買い物中に流れてきた曲を調べてはサブスクリプションのプレイリストに入れるという遊びがとにかく楽しい。
この時代に生きていてラッキーだったと思っています。

でもこれは、私がただ自由に音楽を「追いかけている」だけでしかないと思っていたんです。まさか「音楽に愛されている」なんて気付きもしませんでした。

人に好かれることは苦手です。それが本当じゃない時があるからです。
「距離を縮めること=好かれる」ではなかったことを知った時はショックだったし、たとえば「LINEではネチネチ言ってくるのにTwitterではいい子を演じている」みたいな人に違和感を覚えたり、その逆の人がいたりするので混乱して本当に困ります。そして自分も誰かに対してそうなのかなと思うと気が遠くなります。

とかいって、「今は誰とも話したくないけどこの子だったら今日食べたごはんを教えてあげてもいいな」って思って、たまに「ねえねえ」って連絡させてもらってる友達が何人かいます。
「うんうん」と聞いてくれて、ちょうどよく、ほどほどに。
感謝の人たちです。

今週は、急に母のことで気落ちが激しくなって、薬を飲んでも眠れないし布団から起き上がれないみたいな日が来て、会社を休んで、どうしようもありませんでした。
人の顔色を見るとか誰かと話したいだの話したくないだのを考えるヒマなんてない。何に泣いているのかもわからなくなるし。こうなると、もうどこに助けを求めていいのやら。こんな年齢にもなって情けない。

でも、今日いただいた言葉にしびれて、心の一部分が救われました。

心を打つ言葉

上手な表現や言い回しは、上手だなーすごいなーと思うけど、言葉の向こう側から「こういうことを他の人は言わないでしょ」みたいな匂いを放っているものもあります。テレビやSNSを見てると「この人は準備万端ですごいなあ」と思う人たちがいます。

「自分が心を打たれたかどうか」で判断するしかありませんが、今日の
「餅さんはたくさん好きな音楽があって、音楽に愛されているんだと思います。」には、心を打たれました。
きっと、お腹の底からの素直なお言葉だったかと思います。

※脱線するけど、aikoちゃんていろんな曲からこういった「お腹の底からの」を感じるので、心を打たれまくりです。「ハニーメモリー」もすごい威力。自粛期間中の「お腹の底の」がぱんぱんに詰まっているのだろうな。

初めての表現でもあるし、とても嬉しかった。私が「この曲はこういうところが好き」「こういう気持ちの時にこの曲を聴くと嬉しくなれる」みたいなことをぴーちくぱーちく言っているのを、この方はまっすぐ受け止めてくださっていたんだなあと思いました。「ぴーちくぱーちくなんですね、はいはいわかりました」ってなって当たり前やのに。

その方は、同じような気持ちで音楽を愛でている方なのかな、と前から思っているし、私よりも素直でまっすぐで楽しい感覚を持っているんです。
そういう心で音楽を楽しまれているところが大好き。

私は音楽の詳しい知識もないし、ただ心地よいから「この曲が好きだ」と言っているだけだけど、そんな気持ちを共有できるとより一層、音楽って素敵やなあと思います。

いろんな楽しみ方があるし、どれも正解ですよね。
だから音楽は深くてみんな大好きなんやろなあ。

夏休みのトライがいいかんじで役に立つ

私は書くことが大好きなのに、今は日記も手紙もらくがきも気力がありません。回覧板を受け取った日を書く枠に、今日の日付を書いたくらいです。
情けないけど、やっと自分の気持ちに正直になれた証拠だと思っていて、ここはとことん悲しんだりやる気をなくして寝込んだりしてみたいです。

少し前、仕事で集中力がなくなった時にとことん仕事から離れて夏休みをダラダラを過ごしたらスッキリした、という記事を書きましたが、あの学びが役立ちました。

そして、音楽に愛されていることを喜んで、好きな曲をどんどん聴きます。
いいなあと思ったら、自分のなかでどんどん「この曲のここが好きだ」と自分自身に話しかけて、もっと音楽を好きになっていきます。
そしたら自分が強くなれそう。

ちょっとスッキリした

思っていることをそのまま文字にするとスッキリします。
カーテンを開けたくない時の気持ちだったし、まだ開けるつもりもないけど、文字にしてみてよかった。

Twitterとかインスタって、ちょっと盛ってるの多くないですか。いわゆるマウントとってくるのとか。私も「5億年ぶりに〇〇した」とか言ってますけど。そんな長く生きてるわけないじゃん。でも書きたくなっちゃうじゃん。
絶対ありえないことを書くのが楽しい。意地悪なのにならないようにしてる。つもり。


こっちだってそっちの言ってること信じないよ、おわり。おやすみなさい。


※次はカーテンを開けて書く予定です






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