なにか研究会「死への向かい合い方」感想
毎回ひとつのなにかを研究する「なにか研究会」第1回目のなにかは「死への向き合い方」でした。
対話の感想ーーーーーーーー
「残りの人生でやりたいこと」=「生きる意味」なのかもしれないという話がすごくグサッときた。
ことりちゃんから、瀬戸内寂聴さんが、「70、80歳の時は不満を持ちやすい。100歳になると、もうやりたいことやったし、食べたいもの食べて、飲みたいもの飲んだから、飽きたっていう人が多い。自分もそう」みたいな話をしたら、 実際、老人ホームで働いている方々から「うちも同じだ」という意見が多かったらしい。 ことりちゃんは「ここが理想なのかも知れない」みたいな事を話していた。 共感する。
ぺぺさんが「これは本に書いてあったんだけど、普段は生から死を見つめるけど、癌になると死から生を見つめるようになる。そうなると今までは人の欠点とかを見てしまいがちだけど、「あいつはああいうところあるけど、こういうところもあって悪くないよな」って視点が変わり、世の中が美しく見えてくる。これが癌の醍醐味だ。って書いてあった」と以前、話されてて、こないだは「今は全てが美しく見える」と話していたぺぺさんの言葉は本物にしか思えなかった。
そして、昨日は「生から死を見つめているうちは、人の欠点に目がいってしまうのはしょうがない」ともう一度話してくれた。 70、80歳あたりにみられる、不満を持ちやすい精神から解放されるには、死を覚悟することなのかも知れない。
ただ、飽きるまで生きるのはなかなか難しい。
それでも、まだやれていない、やりたいことを、やることに、意義があるのではないか。そんな普通のような、特別なような、発見が出来て本当に良かった。
イベントの感想ーーーーーーーー
8時間に及ぶなかなか出来ない深い話し合いができたと思う。
死について話し合うのは意外にも楽しかったし、面白かった。
いろんなテーマをやりたい気持ちだが、今回と同じテーマでまたやりたい。
大人数なら多角的な話ができただろうけど、今回は少人数だから深い話ができたし、それが良かった気もする。 そういう意味で、あまり何回も告知しない方がいいのかもしれない。 少ない告知でも来てくれるレベルの関心がある人だけが来た方がいいのかも。
録音しなかったのも良かった。だからこそディープな話できた。
プライバシーの問題があるからあまりここでは書けない。やはりイベントでないと触れられない話がある。企画して本当に良かった。
参加してくれた方に感謝。
おまけーーーーーーーーー
集合時間前に ぺぺさんから「鹿がとれた!」という理由で遅刻しますとのメール。
こんな理由の遅刻なんて初めてすぎてさすがだった。
「死への向き合い方」というテーマの今回、鹿の命をいただいた。美味しかった。豊かな時間。人生を感じた。