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気絶

子供の頃、ある時期一睡も出来ず朝を迎えた日が続いた。

不眠症という如何にも仰々しいシンドロームというのか
子供特有のそんな時期もあるさというライトなものなのか

眠れないという焦り、一睡も出来ず朝になったらどうしよう?という焦りが余計に入眠を妨げていた。

周りの大人は「寝てないと自分で思っても実は寝てるから安心しな」と慰め、テイクイットイージー感を与えようとしていた。

もはや無意識の睡眠がちょこちょこあってもそれは本人にとっては眠れていないという感覚が強すぎて、実際に一睡もしていないのと同じに感じていた。実際に睡眠とはそういったものであろう。

当時も大人に言われる通り自分は寝ているのだと思い込もうとした(実際に寝てた可能性が高いが)。しかし全く眠れた気がせず朝を迎えることはザラであった。それでは寝ていないのと感覚的には一緒。

小学校の一時期そんなことがあったが、直にそれは治まった。

大学受験の初っ端の前夜、まさに緊張で同じ事態に陥りパニックに陥った。今なら眠れないなら一睡もせずむしろその方が第六感が働いていいやくらいの考え方を持てるが、当時は「しなきゃ」have to/must発想が強すぎて、寝れない自分にプレッシャーをかけ余計に眠れないの悪循環/ドツボに。

不眠症とはこれが長期間続くものだとは心得ている。

今は図太くなり、瞬間で寝れるし、なんならリビングで少し横になり覚醒しているつもりでも、いつの間にか意識を失いイビキなどかき嫁に指摘されることも度々。

それを思うと若くて真面目で「べき」発想に囚われてたあの頃もきっと寝ていたのだなぁと今となって痛感する。

しかし10年位前かまだ多少若く、それこそ神経質だった頃、仕事のストレスを抱えて、ネットのうつ病自己診断ではイエロー〜レッド付近を付けていた頃は典型的な早朝覚醒に悩まされていた。

それが2週間は続くとうつ病もしくはうつ状態を疑われる。
仮に心療内科を受診したら症状はつくだろう。

前述の超長文エッセイにあるサイエントロジーのように極端に精神医学を真っ向から否定するつもりはないが、私も懐疑的な考えは強く、また、風邪を引いてもわざわざ内科にいかないのと同じ感覚で(風邪にせよ、心の風邪のうつ状態にせよ、それがいけないとのお叱りは受けましょうがらサイエントロジーの軽量版の考えを持つ私は部分的にはなんでもかんでも受診は否定的)

ともあれ早朝覚醒が続いていた時期もあった。

そのときはちと子供の頃の不眠症もどきとは様相が異なっていた気がする。早朝覚醒して恐ろしいのは身体が動かず、色んな邪念(不安・恐怖)だけがグルグル頭の中で回っていて夢うつつではあるがそれは邪念が強く、おおよそ脳を休めている状態とは程遠いから、(脳を含めた)身体は文字通り睡眠状態に入っても、まさに寝ていないのと同じかむしろ、脳を疲弊している時間を早朝の数時間で過し、一方で現実が嫌だからずっとこのまま布団の中に籠もっていたいと感じ、あっと言う間に起きなければいけない時間が来ることに絶望していたものです。

おおよそ10年くらい前の経験で結局環境を好転させることで克服したわけです。

ここ10年はそんな経験はない。勿論ストレスが掛かると多少眠りが浅いことはあってもあの時まではいかない。

勿論分かっています。
その時と同じ苦境、同程度のストレスが掛かれば、そのときに出来た抗体の免疫機能はあっけなく瓦解し同じ症状は来るであろうことを。

メンタルの強さはもはや関係なく、堤防を遥かに超えた洪水は痩我慢やポジティブシンキングでは防ぎようはない。
勿論、認知の歪みということを地道に矯正するしかそのときはないのだが、強がりや多少の鋼のメンタルはなんの役にも立たない鎧であることを知っていてる。

その諦観を持って生きていると、
先の眠れなくてもイイじゃんと同様に軽やかに生きて、悩みにくくはなることも理解している。

ともあれここ10年くらいはなんとか波もいなして生きており、

しかも年齢的に早起きは全く辛くなくなり早朝ウォーキング含めて活動的に動いているから、

So far,So goodなのだろう。

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