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母校(高校)の特集

大学入試合格実績一辺倒のマインドから約30年前(29年前)の1992年から中田大成氏中心に改革がスタート

私が卒業したのは1991年なのでちょうど改革の直前一年前の卒業(笑)。

確かに在学中も創立100周年に向けて校舎の建て直しなどハード面の改修は進んていたがソフト面(教育内容、指導内容)は改革前でお受験一辺倒ではあった。

とはいえ立川談笑(昭和59年卒落語家、早稲田法学部卒)もこの番組にゲスト出演していて立川談笑師匠の在学中にも改革の気運やリベラルな校風はあったと。平成3年卒の私もそれは感じる。確かに超進学校ゆえ大学入試へのプレッシャーや学内順位の熾烈なる争いはあったが、
番組に名前が出ていた先生の半分以上は授業でお世話になった方々であり、現代国語(現代文)の新田先生や番組には名前が上がらなったが生物の峰先生(漢字は違ったかも知れません。「嶺」とか「峯」)には未だに授業内容憶えており影響を受けている。

立川談笑師が出たので海城出身の有名人として、1番知名度があるのが、フリーアナウンサー(元日テレ)の徳光和夫さん(立教大卒)かも知れない。番組では平成9年卒(私の6年後(6年下という表現は失礼なので使わない))の京大卒の内藤裕紀氏(株式会社ドリコム代表取締役社長=ドリコムはいわゆるスマホアプリのソーシャルゲーム開発をしている。代表作にみんなのゴルフやダビスタなど)を迎えて立川師と世代的には11年の開きがありいわゆる一世代違う有名人として招いていた。徳光和夫氏は昭和34年卒だから立川談笑師匠よりも25年先になる。

内藤氏の頃はかなり改革が進んだ時期かと思われる。

私のクラスはもう少しリベラルだったが、プレッシャーは当然のようにあった。生徒も営業マンが感じるようなノルマ的なプレッシャーは受ける。

なるほど。私は大学で留年はしなかったが、誰のための教育か?ともすると高等学校の合格実績のための我々は道具の側面があり、
日本の大学はどこも自由なんだが、私は比較的フリーダムが強い都の西北にある六大学の一つに4年通い、それはぬるま湯であり、社会に出てから高校のときのようなガチガチな軍隊式に戻り結構辛かった。

とはいえ私は小学校でかなりスパルタな少年野球チームで週末は野球をやっており、中高と受験戦争、大学だけパラダイス、社会は当然戦場と。まァまぁバランスよく戦場と安楽を切り抜けて来ている。大学も結局、楽とは言え、サークルやゼミやバイトでは人付き合いや自分の価値探しで何もしていないわけではない、当然。ただかなりのぬるま湯ゆえ就活はバブル崩壊後の就職開始時期プラス人口多い(第2時ベビーブー厶世代でとにかく、倍率は何するにしてもメチャクチャ高く大変。団塊世代はその走りだろうが。)

ここから下の話は私の卒業後の話だが逆に知らないだけに興味深い。

明治時代に海軍予備校からスタートした海城について↑

立川談笑師匠は昭和57〜59年当時にも武闘派に立ち向かう人権派の先生もいて改革の芽はあったと。
たしかに。

この現代文の新田先生には立川談笑師匠も私も内藤氏も皆、時代は違えどお世話になっている。

創立者は古賀喜三郎 海軍少佐という人。
スパルタな校風は当たり前だが、時代とともに変化させてきた。

私のときは東大は上位1割の35人くらいだが、近年は59人とかにまで伸びて全国9位まで来たか。

古くは御三家が麻布、開成、武蔵といって

実質は筑波大付属駒場高校(筑駒)や灘高や開成が実際のトップ3(お茶の水大付属もいい線)で

桐朋、海城、巣鴨辺りが新御三家と呼ばれ、

ラサール、栄光学園、駒場桐朋辺りが実際には御三家(灘、筑駒、開成)と新御三家の中間を埋めていたような。


昔ながらの御三家にいた武蔵と麻布もラサールとかと同じくらいのヒエラルキーでした。今もそうか?

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