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2020年、様々に思索した末の取り敢えずの私の結論

表裏一体という考え方。

なんとかとなんとかは紙一重も似ている

苦痛は快楽の1過程という説は普通に快楽のメカニズムそのものですよね。

快楽って色々あって、

たとえば痒くて掻くのも快楽。

しかし痒いのがまず拷問、そして掻くのも本来、皮膚や組織を破壊して痛いから苦痛のはず。なのに気持ち良い。

人間の錯覚か?

本能は自己保存、種の保存、地球の保存にとって無駄なことは組み込まないはずですから、その快楽に苦痛が伴うメカニズムはある意味では物凄く自然の摂理に沿っているかと、

紙一重の話に戻すと、本来苦しいことって人間が快楽に転換する分岐点、分水嶺が必ず存在する。

人間にとって最高に苦しいことって現世の人間にしてみたら想像でしかないけど死去/機能停止すること。

しかし、最高の苦しみとは最高の恍惚(エクスタシー)に繋がっていやしないかという仮説、妄想を究極のポジティブというエッセイで著したこともある。
まぁ科学的にはβエンドルフィンが脳内に大量分泌されるという説明が適切だろう。マラソンランナーも感じるランナーズハイのようなもの。

それはその仮説を検証しようにもあの世でしか検証できないから、タラレバの藪の中の話。臨死体験なんてので擬似的に感じることもあろうが、意識の混濁が始まると何かすごく懐かしいような不思議だけど温かい気分になり眩い光に包まれ、三途の川を渡る寸前で先祖に「お前はまだこっちに来るのは早い」と追い返されるというストーリー。

やはりエクスタシーはその三途の川を越えないと味わえなそうなので、擬似的体験ではあまり意味ないのかも。

それでは死は最高に気持ち良いと仮定して、それでも死にたくない理由は現世でやり残したことがある場合だろう。

未練有りげに、恨めしや〜という幽霊の常套句。

うちの親父が40代前半の頃、酒に酔った勢いで、もうだいたいやりたいことやったから、別にいつ死んでも良い、みたいな「それ子供に言う」的な無責任発言をしてたけど、本音だろう。

私も来年の2月で信長の年齢を越す。

信長は48歳まで2日足りない47で自害した。

信長は未練はあったのか?もしかしたら、やりたいこはやり尽くしていて、そろそろ疲れたから、光秀に謀叛起こす演技してくれとお願いしてその茶番劇のさなか自殺したのかも知れない。

そんな説は荒唐無稽だろうが、真実はそのときの信長の心の中にしかなく、永遠に藪の中である。

仮に信長の日記が出てきても(書いてないだろうが)信念を吐露しているとも限らない。よって永遠に藪の中。

閑話休題

私も親父が本音を吐露したように、子孫も1人だが残したし、自分なりの自己実現も行えたし、未練はないかも知れない。

単純に死という初体験が怖いというジェットコースターに乗る前の恐怖みたいなのしかないのかも知れない。

それって人としてどうなの?と世の常識的には言われるかも知れないが、

政治家をみても、会社の上層部をみても、独裁的な家族の長をみてもどんな組織でも弊害となる人物に共通するのは「執着」である。

政治家なら金欲やら名誉欲やら現職にしがみつきたい執着。自己保身の権化な人物は多い。ガースーなんて権化だろう。

会社も同じ、社長という椅子にしがみつきたいから愚策を弄する。

これが、現職に何の未練もなく、明日にでも退いても良いよという社長は他人に優しくなれるはず。

政治家もそうだろう。

よって執着や未練がないのって、リーマン前までウヨウヨ居た上昇志向モンスター達にとっては堕落でしかなく、今の世の常識もまだまだ、そんなモンスターの余波を受けている。だから私の提唱する究極のボジティブを理解できる人は少ないかも知れない。

しかし、コロナによる社会変容により、国民の意識も急激かつ徐々に変化している。

仏の思想のようだが執着(煩悩)を捨てることが、最強であり、最も人に優しく結果的に世界の大王になれるのではないか?

そう思ってやまないのが2020年に様々な思索や瞑想をした、取り敢えずの私の結論。

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