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モリー先生との火曜日
ALSでで余命数ヶ月と宣告されたモリー先生は
教え子のミッチに下記のようなことを言う
>人間は立場が危ないと思うと卑しくなる。
それは我々の文化のせい、そして経済のせいなんだ。
お金を神様と崇め始める。
だからこそ自分なりの文化を築くべし。
社会に任せてはいけない。
死が間近になればすぐに分かる
我々は始まりと終わりは一緒
我々は誰か手を貸してくれないと生きて行けないし死んでいけない。このことが人生で一番大事なんだ。>
■難病を持ちながら明るく、ユーモアを持ち、品位を持っていたモリー先生は自分の身体の衰え(変化)に率直(強がりは言わない)
先生は下記のようにも云う。
>どんどん悪くなる。
身体の悪いところがどんどん増えている
僕は泣くんだよ。
でも一度泣いたら悲しむことは止める。
残っている人生に集中するんだ。
自分を哀れむことを自分に許してはいけない。
恐ろしいと思うから世間は恐ろしい
病気が登ってきた身体は萎んでいく。
怖いよ、怖いけどこう思うんだ。
さよならを云うまでまだたっぷり時間を持っている、と。
■品位とユーモア、落ち着きを持って生けていくモリー先生
モリー先生は死について語る。
キャルフォルニアにてのoJシンプソンの事件をみてモリー先生はミッチにこう語る
>なぁ事件を起こしている人たちはみんな大事なことを忘れているよね。
それはいずれ自分も死ぬということ、なんだ。
いいかい、死ぬ準備を忘れてはいけない。
それは人生に取り組むのに必要なんだよ。
(どうすればいいんでか?と問う生徒に対して)
ほら、あれさ東洋にあるだろ。仏教徒のようにやるんだ。
仏教徒は死ぬことを毎日肩に小鳥を乗せるように毎日用意して、
今日はどうだ?今日はなりたい自分として過ごせたかと自分に問いかけるんだ。
仏教徒は毎日死ぬのと言うことを小鳥のように肩に乗せて行けている。
(一休さんはドクロのついた杖を持って生きている。死を風景として生きている)
(良寛は死ぬときは死ぬがよろしと説く。死ぬとは世の中でこれ程めでたいことはない。命のバトンリレーとして。)
>みんな実は自分が死ぬことを信じないで生きているんだ。
だからいつも人を憎んだり、負かせたり、いじめたする。、
いつも何か決めるたびに自分が死ぬことを考える
それは
あらゆることで見方がガラッと変える考え方なんだ。>
■以下私見
サムライのように死を意識、覚悟して生けている私には物凄くスッと入る考え方だなぁ。
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