ガチグロくんの回想 1

私は児童相談所から始まり児童自立支援施設(俗に言う教護院)少年院とそのほかにも色々と入所退所を繰り返してきました。
その中で沢山学びや経験と自信の思想が出来上がりそれを活かして今後の社会生活をしていこうといています。

私がなぜこのような体験をしてきたかというと主に自分の生まれた環境にありました。
自身の問題ももちろんあります。

私は今プロボクサーを目指して東京で暮らしています。
その中で出会った人達は今の私の何よりも大切な人達です。
まずは私の生まれの説明をします。

私は北海道釧路郡釧路町の母子家庭に生まれました。
お父さんは私が産まれた時にはもういなくなっていてお母さんお父さんは結婚もしていない状況でした。私は生まれてきて喜ばれるのではなく生まれてきて困る存在だったのです。

釧路町にあるぼろぼろの長屋のようなアパートにお母さんと二人暮らし、お母さんは家に居る事が少なく私は大体一人で過ごす毎日でした。
ですがそのうち私は親戚の家やヤクザ屋さんの家へ週末や平日までも預けられるようになっていきました。

家の近所の人達は私たちを白い目で見ていてあまり人と仲良くするというような事が少なかったと思います。

私は負けるのがとても我慢できない性分
(トランプやゲームで負けるのもダメなんです😅子供なのです🤣)
なので近所の人達にそんなふうにあしらわれても心の上らへんでは平気のよっちゃんでした。

それでも子供ながらにショックを受けていました。
子供同士のイジメというのは酷いものであの時の感覚が未だにあります。

ですが一人近所に私を可愛がってくれるおばあちゃんとおねぇちゃんがいました。

家を出されたりお腹が空くとおばちゃんの家へ行き何かもらったりしていました。今の私の根本はその人たちです。でなければ今沢山の大好きな人達に囲まれることもなかったです。感謝です。

ですがそのおばちゃんとおねえちゃんでさえ私の本当の気持ちをわかることはなかったと思います。
私が腹を割って人と話せるようになるには時間がかかりました。
今は出来ました!私も人間へ戻れています😀

そんな生活を続けていくとあるヤクザの親分さんに出会いました。
その人との出会いも私が家にいることが出来ず預けられたことからでした。

ここではあかさんと呼びます。

あかさんのところへ初めて預けられた日その夜のことは詳しく覚えていませんが確か鍋の中に近くで捕まえてきたというヘビが入っていたという記憶だけがあります笑

ですが朝の記憶は忘れられません。
何気ない事なのですが朝は必ずあかさんと二人で白い缶のミルクコーヒーを飲むというのが日課だったからです。

ですがここで私はあかさんを裏切ってしまいます。
お昼にあかさんはソファーの上でうとうとしていました。(私はよくそのソファーのかげやソファー掛けの中に潜り込んであかさんがあれ?どこ行ったとあわてるようすを見てニヤニヤしていました🤣)
ソファーの前のテーブルの上には小銭が置いてありました。
私はその小銭をポケットに入れあかさんを起こさないようにこそっと出ていき近くの商店へ走りました。

そして帰ってくるとなんとあかさんは目をパチリとして起きていました。
私はああ怒られると覚悟していました。
よくあかさんが若いお兄さんやおじさんたちにしたり言ったりしているのを見ているのでブルっていました。

するとあかさんは笑顔で〇〇何かいいものでも買えたかー?といつもと変わらない笑顔で頭を撫でてくれました。
私は頭を撫でられながらごめんなさいと謝ったのを覚えています。

よく小さい頃夜布団の中であかさんあかさんと言って泣いていて怒られていました。
それほどあかさんが優しかったのです。

続きは次回、、、👊

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