ガチグロくんの回想 3

当たり前の事をする、当たり前の生活をする。
その事が頑張るという事だと最近特に思わされている。

遠軽家庭学校へ私は送られた。
そこには北海道中からなんらかの問題を抱えた者が集まり毎日仕事と寮生活、勉強をして生活している。
私が入所してまず配られたものは布団一式、長靴、作業帽、作業着上下、軍手と聖書に讃美歌だった。

そして寮長から施設の決まり、それを破った時の罰則、を告げられた。

ああ俺は来たんだな、ここはどんなところだろうか?来年の今日は俺はどこにいるだろうか?
罰則ってどんなものだろうか?
頭の中をそんな考えが交差していた。

それから自分の世話係になる1つ上の先輩から色々と細かな説明を受けた。
なんだか偉そうに言ってくるのでヒョロのくせにこの野郎と思い反抗的な態度を取るとそれから寮生全員からの嫌がらせが始まった。
私も初めの方ははい。と聞くのだがあまりにも気に障るためあっ?とかなんだよなどと反抗してしまっていた。
たしかに先輩の言うことは聞かなくてはならない。
ただ私の頭の中にはこいつらには絶対ケンカで勝てる弱いくせに先輩風吹かせやがって言う事なんか聞くかよそんな風にしか思えなかった。
どつかれることも多々あった寮長、寮母にバレないように見えるとこやあからさまな暴力はされなかった。
そのうち私の中身がやられてきてしまい口答えも減りほとんどはい、分かりました。と答えていた。
そうしていくうちに私の世話係がクビになった。
理由は作業中に拾ってきた十勝石で私の体を切っていたからであった。
遠軽家庭学校には夕食と片付けが終わると勉強の時間があるのだがその時間にいつも憂さ晴らしに私の体に傷をつけて遊んでいたのだ。
私はどこにも逃げ場のないあの中で1番下の新入生という身分だったので2ヶ月もすると先輩のおもちゃになっていた。

ただ私もやられて終わりなんか死んでも嫌だと思っていたので作業中や分校でしっかりとやり返していた笑

最初の一年間はずっとそうやって過ごした。
唯一の楽しみはテレビや漫画を読むことであった。

遠軽家庭学校ではじめての冬私は同い年の入所1週間経つか経たないかの者と脱走した。

朝まだ誰も起きていない時間に2人で抜け出し室蘭へ向かい走った。

私と同じ寮で過去に同じ時期に脱走して凍死した者の話を聞いていたがそんなことは関係なかった。
ただ逃げたかった。逃げ切れば、いや凍死してしまえばあのサディスティックないじめから抜け出せるそう思った。
マイナス20度ほどの遠軽の冬、山の中を走る、まさに命懸けであった。網走番外地のようであった。
怪しい車が通れば雪の中へ飛び込み走り、また飛び込みまた走り、今思えば馬鹿だとしか思えない。
命を大切に考えられていなかった。私達は留辺蘂辺りで捕まった。あそこで捕まっていなかったなら私には今の幸せは無かった。みんなとも出会えなかった。
今月妻となる女性とも出会えていなかった。
ボクシングともゾッとする。

私達は捕まり懲罰を受けた。
私は大人しく懲罰を受けていたので早めに終われたが私と脱走したもう1人はそうはいかなかった。
そのうち私までも敵とみなされてしまい顔を殴られたりもした。
別に痛くなかった。私は殴られ慣れている。ただ心が痛かった。
一緒に命を懸けた者に敵とみなされ思いっきり殴られ殴られるた時に私の中に生まれた被害者意識、こいつは俺を殴った俺は被害者だこいつを陥れてやる。
そんな感情を持った私自身がとても気持ち悪く感じられた。
それからだった私が人をただただ恨みでしか考えられなくなったのは。
憎しみしか無かった。この世で生きていて人と人が仲良くなんて出来るわけがない。みんな上辺だどれだけ相手を想いやってもこちらが損をするだけ完全に自分を失いその場その場で考え楽な方楽な方へと逃げる。
そんな気持ちも不思議と先輩達が居なくなると私の中からスッと消えた。
先輩がいなくなって安堵したのか分からないがとにかく消えた。

また次回、、、👊



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