修身教授録Ⅱ第4講 生命の愛惜

「人生二度なし」は生命を愛惜するなら必然と分かる。
しかしその価値は漫然と生きていては気付かない。
四十くらいになれば気付くが、その頃では遅い。
真実の教育というものは、自分の取返しの付かない悔いを繰り返させないという一念から始まる。
生命の愛惜は人間として生まれたことに幸せを感じることから生まれる。

--------------------------------------------------------------------------------------

人間として生まれての話は第1部にもありましたが、ここはやはりすんなり入ってこない部分です。
動物には動物の幸せがあり、人間には人間ならではの苦しみがあり、人間に生まれたから幸せというロジックは分かるようで分かりません。

両親に感謝するのは生んでくれたからではなく、成人になるまで育ててくれたからと思っています。
愛情をもって育ててくれればベストですし自分自身そういう環境で育ててくれたと思っていますが、そこまで求めると該当しない人が増えてくるので、衣食住を絶やさず育ててくれただけでも感謝すべきと思います。

40歳では遅いといはなかなか胸に刺さりますが、少なくとも30代を空虚に過ごさなかった分、青年会議所に入っていて良かったと思います。
そんな30代を過ごしていなければ、40代になって修身教授録を経典として身を修めることに興味を持つこともなかったでしょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?