修身教授録Ⅱ第9講 情熱

修身というものは何よりもまず人間というものを力強く人生を生きるよう覚悟させるものでなくてはならない。
人間の偉さとは、人生に向ける情熱とそれを浄化する意志力の2つである。
情熱のない人間はでくの坊であって何ら手の下しようがない。
感動できる人間はまだ魂が死んでおらず進歩できる可能性をもっている。
そんな魂は幾つになっても純情な素朴さを失わないものである。
感動が澄んでいくことは無力になるのではなく、力がいよいよ内に張り切って安っぽく外に現れなくなったということ。
自分の情熱を深めていくには、偉人の伝記を読むとか優れた芸術品に接することが大きな力になる。
それを浄化するには宗教および哲学が大いに役立つ。

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青年会議所を卒業して、今年は情熱を一旦冷ます期間として過ごしているので、情熱を持てという直言には耳が痛い部分があります。

最近感動したのは、別のノートでも書きましたがYOASOBIです。
音楽に興味を持ったのは大学時代以来で、YOASOBIは芸術として優れていながら哲学的でもあるので、この講の感動にとても合致していると思います。
時間に余裕ができたからというのもあるでしょうが、40にして再び音楽に魅入られるとは思ってもいませんでした。
必死に取り組んだ末の感動も得難いものがありますが、水浸しのスポンジではそれ以上吸収できないように、時には余裕を持つことも必要だと思います。緩みっぱなしではダメですが。

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