修身教授録<Ⅰ>第30講 謙遜と卑屈

真に謙遜するためにはその人が確固たる自分を持っていなければならない。
そもそも謙遜とは自覚から生まれるもの。
謙遜とは相手と自分の真価の相違にしたがってわが身を省み処すること。
特に目下の者に対して意識すべきで、傲慢でもなく、かと言って馬鹿丁寧でもあってはならない。
どのような立場の相手に対しても、必要以上に出しゃばりもせずまた妙にヘコヘコもしないこと。
傲慢になったり卑屈になったりするのは自分を確立していないから。
さらに、真の謙遜に至るには内に信ずるものがあるだけでは不十分で、その人が真理や道に取り組んでいるか否かに本質がある。
そうしていれば目下の人に対しても傲慢な態度になろうはずがない。
(終わりに)
この授業は自分が今一番心の問題と思うことを取り扱っている。だから計画的に準備はしていないが、聞くもの見るもの全てが講義の種であるから四六時中準備をしているようなもの。

--------------------------------------------------------------------------------------

私はまだ修身の道半ば、どころか初歩も初歩で人間的にも未熟です。しかし未熟でありながらおごり修養しない人に対して謙遜の気持ちを持つことができません。この授業からすると「人の価値とは心理や道に取り組み内に信じるものを持つことで高まる」のでしょうが、それを怠っている人に相対して「相手と自分の真価の相違」と思うのが難しいです。ほめ達にでも入門してみましょうかね。

(終わりに)を引用したのは、こういう修身の習慣を付けることで日々の生活にアンテナを張ることができ、日々の生活自体が修身になるという気付きを得たからです。そうなってはじめて求道者と言えるでしょう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?