修身教授録<Ⅰ>第35講 為政への関心

白河楽翁公は教育者というより経綸の人と呼ぶのがふさわしい。
(経理:国家を治めととのえること)
偉大な教育者にして経綸の大志を抱かなかった人はいない。
例えばペスタロッチーは宗教を通じて人間を救済するために神学を志し、形式化した宗教に限界を感じて社会改革者を志し、そして人間の魂に根本的な革新を与える教育こそが人間の救済であると到達した。
つまり人間救済に対する偉大な情熱がなければ真の教育者にはなれない。
政治は外から、教育は中から正すものであり、本来不可分なもの。
そうした情熱を持てば、居並ぶ幼い子供が数十年の後に現実をより良くすることを願い心血を注ぎ、単なる子守に甘んじてはいられないはず。

--------------------------------------------------------------------------------------

教育者には世の中を正すという目標が必要ということですね。
算数を教えるでも、ただ教育課程に沿って授業をするのか、この子たちから科学技術の分野において傑出した人物を出すと心するのでは、情熱も全く違うでしょう。
まして心の授業であればその目標こそが大事です。

この講の末に「精神的な生に真の満足が得られないならむしろ物質生活に徹底する方がまし。ただこの踏ん切りも付かないようでは実業家を目指しても大した成功はできない。」とありますが、教育に限らずどのような世界で生きるにしても覚悟が必要だということです。

またこの講で今私が読み進めている『貞観政要』が経綸の良書として紹介されていました。
今読んでいるのは間違っていないと少し自信になりました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?