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心の闇

「東電OL殺人事件」をはじめて知ったのは大学生のころ。ネットサーフィンの先に行き着いたWikipediaを一読しただけなのに強く印象に残っていた。

事件の概要はこうだ。

1997年、渋谷の円山町のアパートで39歳の女性の遺体が発見された。その女性の経歴が人々の興味を駆り立てた。裕福な家庭に生まれ、慶応大学を卒業して、東京電力に初の女性総合職として入社。在職中に発表した論文が高く評価されるなど文句のつけようがないエリートであったが、30歳を越えたころ、突如として売春をはじめる。それも、仕事が終わったあと、109で着替えと化粧をして裏の顔に変身、渋谷の路上で客に声をかけるという「立ちんぼ」スタイルであった。

さらに、この女性は奇妙な行動を取っていた。

FILE1:謎のルーティーン
いつもコンビニでビール3本を買っていた。大きな缶を1本と小さな缶を2本。ホテルに行くとまず大きいほうを飲み干す。まるで儀式であるかのように。夕方から終電までの間に4人の客を取ることを課していて、正の字を書くように達筆で記録していた。そして、必ず終電に乗って母親と住む実家に帰っていた。

FILE2:逆両替
当時にして年収1000万を得ていた彼女であるが、落ちているものをやたらと拾う癖があった。たとえば、ビール瓶を拾って酒屋に持っていき、5円で買い取ってもらう。それを100円にして、100円から1000円札に替えるという逆両替に勤しんでいた。そして、なぜか巣鴨で発見された彼女の定期入れには拾ったものであろう使用済みクオカードが入っていた。

FILE3:出禁
援助交際が流行語になっていた時代、彼女に値段のこだわりはなかった。SEXの場所も問わない。駐車場の隅でもどこでもした。それに、いくつかのラブホテルで糞尿を垂れ流して出禁となっていた。そのとき、ワープロで打ったきれいな詫び状が送られていたという。

FILE4:拒食症
コンビニではおでんの白滝を汁だくで買う。電車の中でその汁をごくごくと飲んでいる姿も目撃されている。仕事のない土日は、朝からホテトルをしていたが、やせ細っていた彼女に客がつくことは少なかった。

今回、あらためて佐野眞一の「東電OL殺人事件」を読んで意外だったのは、会社の同僚も実家の親も売春をしていることは公然の秘密として知られていたということ。果たして、彼女は人々の目をどのように受け止めていたのか。メンヘラという一言では片付けられない心の闇。その闇にこそ、人々の興味は惹きつけられるのだろう。本では「人にはどこまでも堕ちてみたいという欲望がある」というようなことが書かれていたが、彼女を通して、自分にもあったかもしれない可能性を覗き見ているのだろう。

事件の行方も人々を惹きつけた。容疑者とされたのは近所に住んでいたネパール人。不法滞在者であった。現場から発見されたコンドームの精液が彼のDNAと一致した。しかし、長い裁判の末に冤罪となった。真犯人は誰か。おそらくドラマチックな展開があるわけではなく、偶然に流しのヤクザのような客に当たってしまったのだろう。

男女雇用機会均等法を背景にした女性と仕事の問題。警察や検察の体質やDNA鑑定のテクノロジー問題。外国人労働者の待遇や不法滞在の問題。さまざまな社会問題が複雑に絡み合ったこの事件は、未だに未解決のままである。

しかし、その現場となったアパートは現在も残されている。時代に取り残されたその佇まいは、長くは続かないことを予感させる。この事件をたどるならば、今のうちである。

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