デザインに、哲学は必要だった。

武蔵野美術大学 大学院造形構想研究科 クリエイティブリーダシップコース クリエイティブリーダシップ特論 第6回 古賀徹 ({九州大学大学院芸術工学研究院教授)


「講義日:6月22日」


デザインは問題解決の手段、あるいは素敵なモノを作る能力で理解される。しかし、デザインを哲学という視点から考えたことはほぼないと思う。今回は、哲学が専門である古賀徹さんが「ポストインダストリアル時代のデザインとリーダーシップ」について講義を進めた。

著書としは、「デザインに哲学は必要か」がある。哲学は物事の前提を疑い、根本から考え直し、既存の世界観や人間観の枠組みを問い直す。デザインも、人間・世界を観察して、そこに新しい問いや事実を考え直す。違いとは、デザインは具体物を作ることだ。古賀徹さんの本は、デザインの歴史からデザインの意味・デザインを哲学の観点から分析した内容である。今回の講義と違い内容も含めている。インダストリアル時代から現在まで残るデザイン思考は、以下である。


・⼤量複製を前提としたプロトタイプの制作
・⽬的達成のための合理主義的機能主義(いわゆる問題解決のデザイン)
・生産性向上のための徹底した効率化
・コンセプト→スケッチ→モックアップ→社会実装になるデザインプロセス
・PDCAサイクル(Plan, Do, Check, Action)による品質管理
・ピラミッド型の垂直的組織とライン労働
・マーケティングによる精密な市場調査、消費者のニーズ第⼀主義

産業革命が行なった過去から続いたこのデザイン思考は、もはや新しい物が生み出さない。新しいものを作るためには今まのままでは厳しい。デザインにおける有機性が忘却していで、2つの概念に分ける。

運動の原因が個物の内部にある:有機的
運動の原因が個物の外部にある:機械的 

この観点から見れば、工業デザインにおいても、製品のプロトタイプを発案・構想する時に有機的な論理が働く。個物の関係や文脈を把握せずにその内部にフォカスしてしまうから、新しい物が生まれないと言えるだろう。それで、工業化以前の時代のデザイン概念に立ち返る必要がある。そのため、我々は過去に戻る必要がある。ものごとを具現化する「構想」を2つの西洋語の系譜から見れる。

Design→disegno≒ invenzione (Ita. Vasari, 1568)
Engineering→ingegnere(Ita), ingenium (Lat). (Vico, 1720)

ジョルジョ・ヴァザーリ(Giorgio Vasari,1511-1574)の理論からデザインを見ると、判断によって何かを構想する時、このディゼーニョが必要とするのは、、⾃然が創造したものは何であれ、⻑年の研究と訓練を通じて、ペン、鉛筆、その他を⽤いて⾃由⾃在に素描し表現できるということである。つまり、外部を観察する目から機械論が行い、訓練を重ねたその作り手が外部のものを内的なものにする有機論の流れにすることである。

engineeringはばらばらに分離しているものを速やかに、適宜に、そして上⾸尾に⼀つに融合する知性のことをわれわれはインジェーニョingegno と⾔っている。つまり、ヴィーコの有機的論理学の観点から見ると、⾝体を動かして、⾒⽅を変えて、思いもよらなかった解決操作を⾒いだすイマジネーションである。

この二つの観点をベースに創作者・指導者像も変化する必要がある。それがポストインダストリアル時代を生きている我々に必要なリーダーシップではないかと思う。状況を客観的に理解するためのデータ、科学的根拠を提⽰する能力と状況を全体的に理解し、問題を解決しうる〈鍵概念=第三項〉を提出能力。デザインとエンジニアリングのバランスを持って、制作したり指導をすることがこれから新しいものを生み出す手法ではないか。

私自身も学部の頃、美大生としてデザイン史・美術史は必須の授業だった。当時は、卒業のためには仕方ないから、いつか役に立つがなどなどその必要性をわからなかった。しかし、過去・歴史からイノベーションのヒントがあることを痛感した。