縦書きの文章が読めなくなった話。


はじめに


初めまして。
僕です。
何か自分のことを表現できる場所であったりスキルを身に着けたいと思って始めました。
つたない文章ですがゆっくり読んでくださると幸いです。
よろしくお願いします。

縦字が読めなくなった。

 僕は高校生の二年生の暮れあたりから縦書きの文章が読めなくなりました。文字が追えないんです。文章がお出かけしてしまって読んでるところがわからなくなって内容が入ってこなくなってしまいます。だからどうしても縦字を読まないといけないってときは、物差しで隠すか縦線を書かないといけないです。それでも読みづらい。昔に比べて字が読めなくなってしまいました。
 小学生の頃は食いついて小説を読んでいたりニュートンを読んでいたり中学生の頃はSAOとかアクセルワールドete…のラノベを読んでいたんですが今では全く読めないです。読まず嫌いなのかもしれないです。読もうとすると内容を理解する労力ではなく文章を読むところに労力を割いてしまって僕の頭のCPUがチンチンになってしまうのです。

なんで読めなくなったのか

 単刀直入に申しと台本を読んでいたら気づいたら読めなくなっていました。
通っていた高校が独特でして、午後の選択授業に声優のカテゴリがありやっていたわけなんですが、講師の先生が学外で行っていたワークショップに毎週通っていたんですがすごくストイックで、スタジオのガラスが曇って何も見えなくぐらいストイックでした。それが楽しかった。学校では学べないことや弱点の解消がされる感じがたまらく楽しかったです。あの頃頑張ったからこその、この火力の声量が出ているんだろうな。じゃああの頃直した滑舌はどこへいってしまったのやら。
そうですねどんなことしてたかというと外郎売 ういろううりで芝居をしたり、エチュード(即興芝居)をしたり殺陣 たてをやったりしました。
 そんな中で台本を読むんですがこれが追えない。最初は芝居しながらで頭が忙しくて読めないのかと思ってました。先生に指摘されるまではそうなんだと思っていました。「こうた、失読症しつどくしょうなんじゃないか?」と。
「?」ってかんじでした。なんですかそれって感じです。トムクルーズも失読症らしいです。なら大丈夫かと思って何とか。人によっては”字が泳ぐ”こともあるのだとか。僕はそこまでじゃないので気のせいだよって思ってました。
 ただこれが家に帰って読もうとしても芝居しながらと変わらないぐらい追えないんです。その時は本当にこれがつらかったです。

お芝居をやめた

 台本が読めなくてタスクが増えてどんどんストレスに徐々にお芝居をすることが苦しくなっていった。高校三年生は惰性 だせいで芝居をするようになり、ワークショップからも足が遠のいてしまいました。後悔はないです。でもあの頃の必死にやってきた事や苦しかった事、つらかった事嬉しかったことが今の糧になっています。これ以外にもいろんな経験が今の僕の燃料になっています。
あの時は本当にお世話になりました。ありがとうございました。

まあメッセージ性とか落ちはないんですよね

 なにか伝えたいとかはないんですけど、まあ人には出来ることと出来ないことがあるよね。僕は縦書きの文章が読めない。本当に読めない。それだけ。読めないことで死ぬことはないのでそこまで思い詰めてないです。なんならまたお芝居したいぐらいです。朗読とか。

さいごに

 最後まで読んでくださりありがとうございました。
どうでしたか。他愛もない話でしたが。ほかにもこうゆう話が欲しいとかあればご意見お待ちしております。
これから色々文章を投稿していくのでよかったら見に来てください。



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