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町へは出れないが、書を捨てよう<12巻>

「理屈バカ」という言葉がある。
物事を論理的に捉え、論理の破綻や矛盾に鋭く突っ込み、何事にも整合性を求めてしまう人に対する蔑称として使われる。
"野球バカ"など、特定の何かに拘る人に親しみを込めて発するものに近いのかも知れない。

もう一つ、「理屈っぽい」という表現もある。
こちらも、大意は「理屈バカ」と同じだが、どちらかというとライトな表現として扱われている。
(まぁ、バカはワードとして強すぎるよね)

しかし僕は、理屈バカ、嫌いじゃない。
むしろ、っぽいだなんて暈されるくらいならハッキリと罵られたい。

おっと性癖が。

ということで今回は、ザ・理屈バカにおくる、論理的思考ならぬ数学的思考を身につけるこちらの本。

深沢真太郎『「伝わらない」がなくなる 数学的に考える力をつける本』(講談社)


著書の深沢さん、実は僕と浅いような遠いようなご縁があるみたいです。
なんと、僕の出身校の非常勤講師なんだとか。

……迎えそー、そして引き受けそー。

文面からビンビンに伝わる、優秀なのに曲者感。
うちの先生にホント多い。

で、どんな本?

前置きに理屈だの論理だのと書いてしまいましたが、この本はあくまで「数学的に考える」ことの素晴らしさを説いた本です。
論理的思考は副産物に近いですね。

数学的に考えるとはいっても、計算はほとんど出てきません。
少なくとも、読者が計算をしなければいけない部分は皆無です。

そのかわり、言葉を数学的に取り扱うための「数学コトバ」なるものが登場します。

たとえば、しかし、かつ、なぜなら……

文章同士の関係性を明確にし、論理の飛躍や矛盾がないよう、筋道を立てるために使われます。

数学がなんの役に立つのかという、とにかく数学好きのヘンタイ(これは罵倒ではなく、著書自身がそう自称しています)以外の誰しもが学生時代に思い浮かべた疑問への一つの解答集と言えるかもしれません。

あなたは納得して生きているか

結局、数学的だろうと、論理的だろうと、物事を先々進めるためには納得というプロセスが必要なのだそうです。

納得するという「答え」が出る事で、人は「行動」にうつれる。

人が行動するためには、納得という裏付けが必要。そして、その中には論理とは正反対の感覚というものが、確かにあるような気がするのです。
(論理的思考というより数学的の方がしっくりくるのはそういう事なのかも知れません)

数学的な考え方がなぜ必要かといえば、「行動」を阻害する思考のムダをなくし、いち早く納得するためなのです。

うん。うまくかけたかはわからないけど、人生に数学は必要だ。(元々不要だとは思ってないけど)

次回は、DaiGo『なぜかまわりに助けられる人の心理術』です。

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