約束するということ

未だに忘れられないのですが、私は小学生の時に友人に放課後公園で遊ぼうと誘われたことがありましたが、一度深く悲しんだことがあります。

親に近くの公園で遊びに行く旨を伝えて、意気揚々と出かけていきました。

友達と遊ぶなんてあたりまえかと思うかもしれませんが、当時私は滅多に友達と学校外で遊ぶことがなかったので、誘われたことがすごく嬉しかった記憶があります。

公園に着きました。まだ友人は来ていなかったので、ブランコ遊びをしながら待つことにしました。遊具もそんなに多くなく、決して広いとも言えない公園です。早く来ないかなーと幼い私は待っていました。

約束の時間になりましたが、まだ来ませんでした。当時は携帯を持っていなかったので連絡手段はありませんでした。健気な私はもう少ししたら来るだろう。と思いながら待ちました。多分30分くらい待っても来ませんでした。今思えばここで帰ればよかったと思うのですが、もし私が帰ってから友人が来たら友人は悲しむだろうと思ってまだ待つことにしました。1時間経ってもきませんでした。結局私は暗くなってから帰りました。何分待ったんでしょうか。

次の日学校で友人に会いました。もちろん友人は謝ってくれたはずなのですが、今でもこんなに根に持っているのは、その時ちゃんと謝ってくれなかったからです。ちゃんと謝ってくれていたら私も納得できているでしょうし、今でも思い出すことはないでしょう。しかし何年経っても約束を破られるとこの出来事を思い出します。

人間なんだから約束を破ってしまうことはあります。どんなに真面目に約束を守ろうとしても不測の事態に見舞われることもあります。人間は完璧ではないはずなので、約束を破ってしまうのは故意だろうが不慮だろうが仕方ないと思っています。しかし、ちゃんと謝ってくれれば許せます。私のケースのように時間を決めて遊ぶ約束ならなるべくなら事前に一言遅れるとか、無理になったとか言ってくれればまだ許せます。約束は守ることは大事だと思いますが、破った時はどうカバーするかも考えないといけないと思います。

例えば遊ぶ約束なら、私は決めた時間に向けて気分のメーターがピークになるようにもっていく人です。だから約束した時間には100%遊びたいという気分なのに、その時間を過ぎれば遊びたいメーターと相手の信頼が時間が経つ度に下がっていきます。

約束って双方の信頼に基づいていると思うんですよね。約束を破る原因が不慮以外の要素だとしたら、それは相手がそれまでの人だった。もしくは自分が相手の信頼に足らない人間であったかのどちらかだと思っています。

私は約束の時間に遅れそうになったらちゃんと事前に連絡するようにしています。遅れてしまいそうな場合はむしろこれが礼儀だと思います。私は事前連絡は早ければ早いほど、遊びたいメーターが低い状態なので、全然気にすることはありません。

人の信頼を獲得するというのは、メーカーがブランドを構築するように簡単なことではないことです。ブランドがあっけなく崩れるように人の信頼もあっけなく崩れます。それだけ難しいことです。

あなたは人の信頼に足るような人ですか?約束は破ってもちゃんとカバーしないと信頼されなくなってしまいますよ。

昨日寝る前にモヤモヤして書いたけど、眠かったので文が変かもしれない。

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