見出し画像

怒りについて

これは光


 起きた時に夜の続きみたいに消えたくても、目の前の色々をなんとかしなくちゃいけなくてバタバタしている。
 そうしているうちに、その夜に持っていた怒りとかを忘れてしまうのではないかと恐ろしく思ったりもするし、そもそも忘れるのが怖くて延焼し続けているだけかもな〜と思ったりもする。怒りね、人間は照れ屋だから、悲しみや不安のことを怒りってよく言う。およそ三歳ごろにはもうままならない状態や不快感に対して怒りを表現するという。

 ホストに当たり散らす女の子も、活動家も、Twitterで怒ってる人も、それぞれの主張や願いや、そもそも自分の存在の置き場がない、どうせ理解されない悲しみや恐怖のほうが先に生まれて、怒りはそのあと 感情表現を擬人化したら怒りは末っ子でメカクレで赤いパーカーを萌え袖していると思う。
(でもTwitterで怒っている人に関して私は、ここ10年くらいは炎上狙いのわざとらしい自己主張と、さらに最近は炎上に対するインプレ狙いの叩き、それに対するインプレ狙いの...という構造に辟易している。これからインプレ狙いの叩きで失われる命があるのだろうか。でもそういうアカウントは炎上の内容にまで興味はないから「これはない😂」等のうすい文言の群れが、キンキンに研ぎ澄まされた本気の叩き人(びと)の筆圧強めのリプライを濁流のように流して見えなくしてくれるかもしれない。
 叩き人(びと)が有名人を傷つけようとしてリプライ欄を開き、そこに広がるインプレ狙いアカウントによる偽物の感情の洪水を見て、うんざりしてアプリを閉じたとき、SNSの神様はこれでいいのだ、これでよかったんだ、と思うのかもしれない。
 そうしてこの世界で叩かれているのは辻ちゃんのアメブロだけになる。今のんピースの話してるやついねーかと思って調べたら辻ちゃんは2023年の記事でまだ叩かれていた。)

 実際には怒りの正体は、感情じゃなくて手段なんじゃないかと疑っている。SNSのクレーマーですら感情が壊れ物だと知っているから、「非常識なんじゃないですか?」とかって一般論でラッピングしないと、とても他人に渡せない。そして手ぶらのまま悲しいです〜なんて言える人間のほうがよほど慎みがないと思う。そういう厚かましい人間を羨ましいと思ったりもするしクソボケがよと思ったりもする。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?