取りたいから取った

今日は急に立て込んでしまい予定をキャンセルしてしまったことが非常に悔やまれます。
地元のLGBTsの輪が広がるチャンスだったんだけど逃してしまった。でもチャンスはまたありそうなので、次こそは。

確かXジェンダーという言葉ができたのは、多くの人が身体の治療を目指すトランスジェンダーに対して、
治療しない自らをまた別の言葉で肯定的にとらえなおすような背景があったと思う。
けれど今の自分はそれには当てはまらない。
そんな過去の話は、未来をこれから作っていくぼくたちが考慮する必要はないといえばない。気にする必要はない。
ただ、Xジェンダーでありながらエストロゲンを摂取して、男性器を切除した自分の行為は、後進にどういう影響を与えるのだろうか、というのは考えないでもない。

身体への違和感の対処について相談された時には、ホルモン療法などは不可逆なものであって、リスクもあると話す。
そしてやるなら、その理解と覚悟を持ってして行うようにと必ず話をしている。
それでも自分が不可逆なものを行っていることで、それを見た人が同じことをするハードルが一定程度下がる可能性はあると思う。
だから、いたずらに進めるような事は絶対にしないようにしている。
といっても自分が気をつけることといえば上記のようなことくらいで、後のことは気にしてもしょうがないなぁ。
いま書きながら改めて気づいた。

大学関係者からXジェンダーに関する研究のインタビューを受ける機会が時々ある。
その中で自分が受けた手術に対してSRSという言葉を使うことになんとなく躊躇する旨を話していた。
これは何か直感的なもので、あまり言語化できていなかった。
先日、これについて改めて聞かれたので、改めて考えてみたら、割りとしっくり来る形で言語化できた気がする。

SRSはSex Reassignment Surgeryの略で、日本語訳としては「性別適合手術」「性別再指定手術」「性別再判定手術」とされることがあるみたいです。
「適合」「再指定」「再判定」、この3つのいずれを使うにせよ、具体的なゴール設定されている前提の言葉なんですよね。
AFAB(出生時に女性をあてがわれた人)がSRSをする場合だと、男性の身体に適合させる、再指定する、再判定される状態にするわけですよね。
AMAB(上記の逆)の場合は同様の理屈で逆の性に対してですね。

さて、これは自分の場合はどうなるのか?
AMABのぼくですが、少なくとも女性を目指して手術をしたわけではないです。
じゃあ、代わりの明確なゴール、なりたい身体像があったのかと言われると、特に無い。
そもそも「女性の身体に生まれたかったか?」と聞かれても、「それはそれで面倒くさそう」と答える人なのです。
そう考えると、ぼくが手術を受けた意図は、なにかに適合させるものではないし、再指定されるものでもないし、再判定されるものでもないのです。
ひたすらに男性器への嫌悪感、性欲への嫌悪感があったので、手術をして取りました。

強いていえば「性別の無い身体になりたい」が近いかもしれない、けど違う。
でも、自分の中の男性性や女性性を否定したい(そもそもそんな概念の存在を疑ってますが)とも思わない。
なので「性別の無い身体になりたい」も厳密には違うような気がする。
もうこうなると、シンプルに「男性器を取りたいから取った」に尽きてしまうのです。
んー、我ながらシンプルなのか面倒くさいのか分からないんですが、そういうものなのです。

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