ぼくの大切な人たちのお話
この記事は2022-12-05 04:58:13の移載
吸い込む空気が鼻腔やのどを刺激するくらい冷たくなって、吐く息は白くなった。
ほほをつんざくような朝晩の冷たい空気が心地いい。
暦の上でも「橘始黄(たちばなはじめてきばむ)」を迎え、大好きな冬が足音を立ててすぐそこまで来ていることがわかる。
(生駒高校、いい場所だね)
それにしてもここ1~2か月はなかなか激動で、要所要所で息抜きしつつもしっかりOFFを取れていなかった。
受験シーズンを控えここから佳境が訪れるが、ちゃんとOFFを取って職場の先輩と同期に服を見繕ってもらいにまちへ繰り出した。
ぼくは服に全くもって無頓着で、機能性のみを重視する質なので流行とか「これとこれを合わせるとどやこや」という類の話はわからない。
が恵まれているのは服が好きな先輩と同期が身近にいること。誕生日にも服を見繕ってもらったので、今回は冬服をいざ見繕ってもらおうという、なんとも他力本願な試みである。
久しぶりのまちは、やはりうきうきするものであれやこれやと見てきた。
もちろん服をメインで見たのだが、途中で先輩と立ち寄ったタワレコが一番楽しかった。
まだあまり流通していないがここからグッと来るであろうインディーズの盤を試聴し、まだ聴かぬ音楽との出会いを果たす。
先輩を傍目に「このバンドはいい詩を書くな」とか「イントロのベースが最高に小気味良い」とか「このギターリフたまらん」とか「どの盤を持ち帰ろうか」とかそういうことを考えている時間が最高に良い。
(聖地ですありがとうございます)
ちなみに先輩はあまり音楽に明るくないようで「ふーん」と店内を回らせて待たせた(ごめんな)のだが、先輩にとっての「音楽」とぼくにとっての「服」は同じポジションなのだろうとふと思う。
わからなければ詳しい人に教わればいいよな、と思いながら仕事にも同じことが言えるだろうとつらつらと考えた。
しっかりサブスクで解禁されていない盤を購入し、それをiTunesに入れているところでこれを書いている。
この盤はどんなことと出会わせてくれるのか、楽しみ。
(職場からの夕焼け、あまりにきれいで)
この後、ぼくらしくないといえばぼくらしくなかろう服や小物を買って帰路へつく。
やはり落ち着く奈良に帰り、食事と中身のない会話をした。中身のない会話なので全然ぼくがわからない話で大層盛り上がっていた時、つらつらと考えていたことがある。もちろん、わかる話でも大層盛り上がったのだが。
(夕焼けから数分後のグラデーション)
それは、見られ方のお話。
きっとはたから見れば我々は仲がいいと思われるのだろうが、一般のそれと異なるような気がしている。
仲がいい割には各々に協調性がないし、各々が好き好きに行動して、それで待ったり待たされたりをしている。
各々が各々に興味あるが興味なくて、なんともドライな関係でもある。
年齢差もまあきちんとあるが先輩後輩関係なく、仕事では刺し合うし、そこそこにストイック。OFFでは意図的に年齢差がないように振る舞うが、それでも(ぼくは)敬意と尊敬といい意味での畏怖の念を持っている。
とりあえず我々は敵同士ではない、同じ方向を今はなんだかんだ向いていることは明確に分かっている、そんな不思議で素敵な関係がなんとも心地よいのだが、はたから見たら仲がいいということにもなりそうだ。
この関係は実際に時を共にしないとわからないことでもありそうで。まあ別にどうでもいいのだけれども。
そんなことをふと思っていたわけである。
(うっすらとかかるもやが美しい)
そして解散したところで、高校時代からの友人が「風呂壊れて入れない」というので一緒に銭湯に行ってきた。
図らずも有象無象の疲れを癒すことができ、ウィンウィンである。
彼は社会人をしているが院生として数学を研究したいらしい。被る余地もないほどやっていることは違うが、それでも語りざまから数学を愛していることは理解できる。「文系理系」となにかと分断される属性をも超える知への好奇心から大いに刺激を受けることも往々にしてある。そしてその刺激に焦り、自分はこれでいいのかと自問自答を繰り返すこともある。
様々な観点から、よき友人である。
そんなよき友人と家路についていた時、かかってきた曲は「美しい日」である。
今にある幸せは今生きる自分で気がつくものだったんだ
優しさも楽しさも愛しさも笑い声も
誰かにとって「たかがそれくらい」のありふれた歓びでも
愛しいと思えたら特別じゃない今日はもうきっと美しい
美しい日なんだよなあ
このタイミングでかつシャッフルでこれを届けてくれたApple Musicは天才のそれである。
自分にとっても思い入れのある曲の1つで、改めて今の自分に言い聞かせておきたいことだ。
はたから見ればどうこうとか、他人と比べて自分はどうこうとか。
それも大切なことかもしれないが、真髄ではない。
ぼくは先輩や同期と何かに打ち込んだ経験が薄いと感じている。
そのバックラッシュで今はとってもとっても、楽しい。しんどいことももちろんあるけど、楽しいから踏ん張れる。
先輩のようで先輩ではない距離感、それでもやっぱりぼくより圧倒的にすごい大切な先輩や、本ブログでも恒例の相棒すぎる同期、負けん気を奮い立たせてくれ大切なことを思い出させてくれる後輩。
自分が大切にしたい人たち、大切にしたい瞬間、いいと思ったこと、いいと思った関係。
ぼくの人生もそうだが、それらはすべて泡沫で、自分でつぎ足しして維持させていくほかない。
どれもこれも、ぼくの人生には必要不可欠なもの・ことである。
こんなぼくにもお付き合いいただいているのはありがたいことなので、引き続きご相伴に預かりたい。
大切な人たちへ、いつもありがとうございます。そしてこれからも適当に楽しくいきましょう。
(この時の鴨川きもちかったなー)
そんな充実したOFFの日のお話と思考の記録。
毎回書いていて同じような結論に帰結している気も結構しているが、それを繰り返すことも自分のキャリアアンカーにつながっていると信じて、また気が向いたら筆を執ることにする。
書いていたら寝落ちして5時になっていたが、再び眠りにつくことにする。それでは、皆さま今日も佳き日を。
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