東大理3への挑戦ーroad to revenge

序章を公開します(残りの章は発見したら別売りします)。

「東大理3への挑戦―road to revenge」
壮絶な人生を送ってきたluciferが日本最難関東大理3に合格して再び日の目を見る物語。
(1) 序章
 こんにちは。わたくしはluciferというハンドルネームを用いています。あるいは数学マニアとでも言うべきか。2012年に日本最難関である東京大学理科3類、通称東大理3に合格しました。2014年3月より医学部医学科に進学します。また、「東大理3合格者のブログR2」というブログをやっています。http://mathgeek.blog.fc2.com/
 実は、私は9浪で入りました。実際には9浪とはちょっと違いますが、年齢的には9浪相当です。これだけ多浪して東大理3に入るのも珍しいですが、それだけではありません。詳しくは本文で述べますが、とある高校を辞め、現役では東大理3に不合格し、その後はいわばニートのような状態で5、6年を過ごしてきました。そんな私ですが、少しずつ転機があって、最終的に大逆転の形で東大理3に受かりました。
 この本ではそんな私の挫折と復活を自伝形式でつづってみました。私のように経歴に傷があるいわば落伍者でも、頑張れば日の目を見ることがあるのだということを知ってほしい。みなさんはチャレンジしなければならない状況で諦めることもあるかもしれないが、そうではなくてネバーギブアップの根性で成功をつかんでほしいのです。
 実は、私のハンドルネールluciferのもとの由来は神話の堕天使ですが、その方も私といろいろ共通点があります。それも本文にて述べてみたいと思います。
 また、東大理3には受かりましたが、私にはまだまだ野望があり、そのために壮大な構想があります。それを実現するために東大理3にこだわりました。どんな構想があるか気になる方もいるでしょうから、その構想を一部披露します。
 これから東大を目指したい、壁を乗り越えたいという方に勇気と希望を与える本でありたいと思います。
(2) 前半生―栄光と挫折
 私は1984年12月20日、都内の病院で生まれました。体重は重かったようです。生まれたころにも逸話があって、生まれた直後に何時間も泣いていたり、生まれて1週間でテレビに「今年生まれた赤ちゃん」としてテレビに出ていました。また、母から聞いた話ですが、生まれて1週間程度で英語を流暢に話していたそうです。「ヘロー。ハーワーユー」と親が言ったところ、私は「Hello. How are you?」とまるで英米人であるかのようにうまく発音していたとのこと。このことで親は、この子は前世は英米人か宇宙人で生まれ変わりとはあるんだな、とか言ってましたが、どうでしょうかね。怪しいものですね。
 ちなみに、近年になって英語をかなり勉強して英検1級を取得するまで至ることになりますから、このエピソードもある程度は納得できます。英検1級については後述します。
 その後、都内のとある幼稚園に行ってましたね。そこでは、絵をかいたり、ひらがなを習ったりそれなりに楽しかったですね。また、人生で唯一、制服を着ていた時期でもあります。そこの同級生も有名中学に行ったり、東大に進学したりと結構、人に羨まれる人生を送っているみたいです。
 他に、幼いころのエピソードとしては、4,5歳で隣の駅にある図書館に一人で行ってしまったとか。途中、知り合いのおばさんにあって道を聞いていたようですが、今となってはどうやって行ったのか、そもそもなんで図書館に行こうとしたのかよくわかりません。
そして、勉強面ですが、かなり早熟だったようです。
確かもう5歳くらいで算数はできていました。6歳頃には大人が読む物理の雑誌をちょっと読んでいたみたいです。今考えるとちょっと勉強し始めるのが早いですね。いわゆる天才肌だったというべきでしょうか。もうすでにこのころから算数、数学系は得意だったようです。ただ、周りとはあまくうまくコミュニケーションができてなかったようです。
 知っている方も多いと思いますが、私はいわゆる「アスペルガー」だったようなのです。後に中学の頃に診断を受けました。だから空間把握や数学は得意でも、言語やコミュニケーションは得意ではないタイプのようです。だから周りとの関係もいまいちだったようです。ちなみに、この「アスペルガー」は、後の中高の出来事に深く影を落とすことになります。
 なお、現在では「アスペルガー」は、病名としてはないことになっています。いわゆる「自閉症スペクトラム」という症候群全体の一部としてとらえられています。
 現在、この「自閉症スペクトラム」に悩む子供や親も多いですから、簡単に説明します。
これは、要するに極端な男性脳なのです。おそらく男性ホルモンの一種であるテストステロンが出たことがきっかけで、空間把握や数学、論理といった部分が強化されて、逆に言語や意思疎通、情動といった女性が得意とする分野に劣るようになるということです。この病気で知能が低いか高いかで実際の呼び方が異なってくるのです。
 この病気は、確かに根治治療はできません。しかし、克服はできます。安心してください。私はなんとかなりました。結局は本人の治りたいという意思が重要なのです。
 今後の研究でこの病気の治療方法が見つかると良いですね。
 さて、小学校に入りました。はっきり言って、小学校自体は最悪でした。勉強していれば良いのに、規律や課外活動ばかり重視していやな思いをいっぱいしました。昼食もまずかったです。校舎も汚いです。授業も面白みがなかった。途中から不登校になりましたね。
不登校になりましたが、なるべく学校に来てもらおうという親と学校側の話し合いで、学校の1室に、私のもつ文庫本を置いて図書室のような感じにしていました。たまに学校に行ったときにはそこで文庫本を読んでいました。
 勉強面では結構順調でした。先ほどの続きですが、低学年では微積分の本を読んで嬉しかった記憶があります。最後のページあたりに、大学で習うフーリエ級数やフーリエ変換の式があって、面白かったです。「これ何だかよくわからないけど難しくてすごそう」と思っていました。親もそんな私の様子をみて、将来は数学者になるのだと思っていたようです。ただし、私は東大理3に入りたかったので迷惑でしたが。
 余談ですが、私は小学校からすでに東大理3を目指していました。理由は当時は医師になりたいとかそんなたいそうな理由ではありませんでした。単に日本の最難関だから目指したかったということだったようです。だが、後のことを考えると、無理やりにでも志望動機を見出して周囲の人に東大理3志望を認知させる必要があったかもしれない。それに関してはかなり後悔しています。
 そして、小学4年生からは日能研に通いました。成績はそれなりに良かったです。4,5,6年のときにカリキュラムテスト(通称カリテ)で1回ずつ1位となりました。また公開模試では最高3位になりました。当時は優秀者は賞状をもらえて、合計30枚くらいもらいました。また、算数は全国トップレベルでした。特に、カリテ算数では完全にトップだったようです。当時の日能研のテストでは正答率が出てきましたが、算数の1%問題が
相当量解けました。だいたいほかの易しい問題を早く解ききってから、最後の超難問に時間をかけて挑むというのがスタイルでした。塾の先生からも注目されていたようです。授業では、算数では相当解く速度が速かった。周りも争って解いていましたが、大抵私が一番解くのがはやかったです。国語は当時の先生の教え方がうまく、徐徐にではありますができるようになりました。最後の頃のカリテ国語では満点も出した。また、社会、理科についてもそれなりにできたようですが、当時はどちらかと言うと社会の暗記に力を注いでいて、家での自主勉強もそれが中心でした。実際、社会の成績も良かったです。しかしながら、後の東大理3入試を見据えると、理科を重視した方が良かったかも。ただ、まあ、それでも成績は上位を連発していましたね。
 そんな感じですから、当然のように中学受験も受かりました。進学先は全国でも1,2を争う偏差値だった学校にしました。
 しかし、です。これが悲劇の始まりでした。とんでもない苦しみと挫折を味わうきっかけとなったのです。
 進学した学校は、東大への高い合格実績と自由な校風をうたい文句にしていました。ほかにレベル的に合格可能だった学校は、非常に「堅い」イメージがあったので、マイペースな私にはあわないと思い、受験せず、もっと偏差値の高いあの学校に進学したのですが、入ってすぐに違和感に気づきました。というのも、あまり勉強をやる学校ではなく、かわりに学校行事に参加しないとすぐに文句を言ってくる学校でした。せっかく勉強できると思って入ったのに。私の気持ちは裏切られました。
 しばらくして、精神的に参り始めて、また勉強したいのに学校行事を優先させろとうるさく言ってきたので、次第に疲れてきました。そして、この学校も不登校になってきました。
 そういうことで、高校の1学期の終わりに学校をやめました。
 やめた理由には、前述の学校行事のほかにも「アスペルガー」であったことが影響していました。どうやら当時の校長がアスペルガーをみきれないと弱腰になっていたという事情もあったのではないか、と親はいっていますが、真相ははっきりしていません。この件を完全に暴露すると政治的な問題点すら浮上する可能性があるようです。だから、本書では深くは扱いません。まあ、ご想像にお任せします。
 さて、やめてすぐに大検(大学入試検定、現在は高認)に合格し、希望をもって東大理3の受験へと進めると思いました。勉強については、後の章で述べますが、A判定連発レベルではなかったですが、現役としてはかなり有望でして、現役合格は十分できる、むしろ当然であろうと思っていました。だが、それには落とし穴があったのです。

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