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おばさん

私が勤務しているビルには清掃員のおばさんがいて毎日昼頃に雑巾で窓や手すりやら拭いていくのだが、その雑巾がどうにもこうにも生乾き臭い。恐らくその日使った雑巾を室内で干しているのだろう。その臭いは常軌を逸する程であり、店前のエアカーテンの力も作用して店内にまで侵入してくる。私はそのおばさんが拭き掃除を終えた後に速攻でナグチャンパを2本一気に焚き、せめて自分の鼻だけでも誤魔化すことにしている。

ふと、そのおばさんのことを考える。おばさんは真剣に愚直に、ただ拭き掃除に取り組んでいるだけである。ただそれは、こちらにははた迷惑でしかない。つまり、そのおばさんは利益を一切生み出さず、なんなら他人に不利益を被らせることでお金を得ているのだ。勿論掃除以外の仕事も私達に見えない場所でしているのだろう。しかしそれでも、少なくともビルの拭き掃除をしている時間に限っては、裏で鼻くそでもほじってくれている方がこちらとしては有難いのである。頑張っているおばさんには口が裂けても直接言うことはできないが、申し訳ないがそう思ってしまう。

世の中の仕事は需要と供給から生まれているはずである。しかしその中には、社会の歪みというかなんというか、うまく抜け道があって、どこで生まれたのか分からないお金を貰って生活している人間が多数いるのだ。これは極端だが単純に考えると、人が1人欠勤してもお店が問題なくまわると言うことは、その人間はいてもいなくても良い存在なのにお金を貰っていることになる。それで店に迷惑をかけているのであればなんなら居ない方が有難い。これは仕事以外にも当てはまる。自分がしている行動が実は誰の為にもなっていなくて、なんなら何もしない方が有難いなんてこともよくある。ありがた迷惑というやつだ。

とある漫画の父親が息子に言った台詞で「いてもいなくても良い存在になるな」というものがあり甚く共感した。私もそうなりたいし、いた方が良い存在になりたい。

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