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どれみちゃんとわたし

 就職活動をきっかけに自己分析をはじめた。マイナビの「他己分析」という機能があり、たくさんの人に私を様々な側面から評価してもらった。自分では見えていない部分やイマイチ言語化できていなかったわたしの性格を見せてくれた。
 そのなかでひとつ気になることを書いてくれた人がいた。「春風どれみっぽい」よくわからなかったので、すぐに検索すると、おジャ魔女どれみの主人公の春風どれみちゃんのことだった。おジャ魔女どれみはニチアサで1999年~2002年に放映された魔法をコンセプトにした女児向けアニメだ。わたしの姉がドンピシャの世代で、家にはグッズもあった。わたしも小さいころに見ていたのだろう、おジャ魔女どれみの内容はうろ覚えだが登場キャラの名前やOP曲は知っているという状態だった。
わたしの知るどれみちゃんは、大雑把で、バカっぽくて考えなし、いつも誰かに笑われていて、あまりいいイメージがない。性格が似ているといわれてモヤモヤしてしまったため、その他己分析を信頼して、アマゾンプライムで見れるおジャ魔女どれみを見始めた。


 1.「おジャ魔女どれみ」
 2.春風どれみ
 3.どれみちゃんとわたし
 4.まとめ


1.「おジャ魔女どれみ」
 おジャ魔女どれみはとんでもないアニメだった…

 よくある子ども向けのアニメというのは、大魔王や悪の組織と戦うのかもしれないが、おジャ魔女どれみの場合はあくまで日常の切り取り。クラスメイトの周りで起こったトラブルや、コンプレックス、家族の問題を魔法の力を少し借りて解決していく。クラスメイトが悩むのは、兄弟げんかや性の問題、進路など、実にリアルで身近な問題を魔法というポップな題材を用いて描いている。クラスメイトにモブキャラは存在しない。4年間かけて必ずひとりひとりを主人公にした回があり、ひとつひとつの悩み、その子の立ち向かい方が丁寧に構成され、不登校など難しい問題には原因がわかり解決してすぐに登校という雑な描き方ではなく、何週間もかけて、視聴者も一緒に悩んだり、応援させてくれる。クラスメイトだけでなく、大人の先生やお母さんお父さんも回を追うごとに一緒に考え、昔の行動を悔やんだり、謝ったり、登場人物全員が成長していく。本当にいい作品だった。実は実家のリビングで見ていたのだが、最終回でもないごく普通の話(おジャ魔女どれみの普通は普通じゃない、ひとつひとつ名作なのだが)で、普段めちゃくちゃ寡黙な父が涙を流していた。やはり女児向けアニメの型の枠を超えた老若男女に受け入れられるすばらしいアニメだ。おジャ魔女どれみに関しては、また別の回で詳しく話したい。今回はあくまでもどれみとわたし。


2.春風どれみ


 そんなおジャ魔女どれみの主人公春風どれみは、「わたしって世界一不幸な美少女かも⁉」が口癖。自分は美少女だとポジティブに認める反面、両親がよくケンカしていること、妹が生意気すぎること、ドジで何をしてもうまくいかないことを、「世界一不幸」と嘆く。どれみはスポーツも得意じゃないし、勉強はからっきし。忘れ物や授業中のおしゃべりで廊下に立たされる(20年前の倫理観)ことも日常茶飯事。だけど、思いやりは人一倍で、愛情深く、困っている人を放っておけない。それがおせっかいだと思われることもあるが、そこまでするからこそ、だれのどんな苦しみであっても共感して寄り添ってくれる。初めての子ともすぐに仲良くなり、クラスになじませる。友達の大切さをよくわかっている。自分のことには鈍感だけど、トラブルに巻き込まれて悩んでいる子がいると、すぐに察知して、我を忘れて助けに行く。
 ホラ吹きで有名のクラスメイトの話にも、ただウソつきだと遠ざかるのでなく、おもしろい楽しくなる話だと笑うし、入院している友人の病室にお見舞いではなく純粋に遊びにいき、不登校の子には理由なんて聞かずにただただ幸せそうに給食のステーキ丼の話をする。だれだってどれみといるとついつい笑ってまうし、まっすぐな彼女の前では心を開かずにはいられなくなる。
 そんなどれみを見ていた、4年間担任の関先生は、自分のドジさで落ち込んでいたどれみに「春風は居るだけでみんなを明るく楽しくして、誰とでも友達になれる。これはテストで100点をとるより凄いことなんだぞ!(不登校だった)長門が学校にこれるようになったのも、転校生がすぐにクラスに溶け込めたのも、春風のおかげだと、先生は感謝している。」と励ます。これこそ春風どれみだ。学級委員みたいなポジションでもないが、なぜか彼女の明るさと素直さでどれみのクラス全体が元気になって、彼女を起点に全員に居場所ができる。どれみはクラスの相乗効果を生み出す存在だ。
 第3期も~っと!おジャ魔女どれみの25話「ひとりぼっちの夏休み」ではどれみの性格がそのままうかがえる。夏休み、親友たちはなんだかよそよそしく、家族も自分を残して外出。家でひとりの時間をとことん謳歌していてもすぐに飽きてしまう。取り残されたと感じたどれみはドジだからついにみんなに愛想つかされ、嫌われてしまったのではないかと、孤独感にさいなまる。「魔法でドジが治ればいいのに」とひとり寂しく泣く。実際にはMAHO堂、クラスのみんな、家族がどれみの誕生日をサプライズで計画していたためだった。普段は明るくて社交的な性格などれみが、急にまわりに支えてくれる人がいなくなると、ネガティブで自分に極端に自信がなくなり、寂しがり、普段の性格と完全に裏返しになってしまう。どれみは周囲の人がいて、自分という人間がいることを認識し、みんなといる自分を心から愛せているのではないだろうか。
 ここで、わたしの中で最高傑作な(も~っと!おジャ魔女どれみ20話、38話、45話で語られる)不登校の長門かよこちゃんの話をする。かよこはマイペースな性格から、何をするにも周りから遅れをとってしまい、そのことで自分は迷惑な存在、いない方がいい存在なのではないかとい、不登校になってしまう。「私がいるとみんなに迷惑かけてしまうから、消えてしまいたい。」と漏らすかよこに、どれみは「わたしなんていつも迷惑かけてるよ。今日だって(中略)、昨日なんか(中略)、一昨日は(中略)。迷惑かけて消えちゃうなら、わたしなんか何回消えたらいいかわからないよ!」と無双のどれみ節。そこから更に「もうかよこちゃんは友達だもんね」と畳みかける。人に迷惑をかけてしまう=人に嫌われてしまう→わたしなんかいない方がマシ、と考えるかよこちゃんにとって、どれみは眩しすぎる。しかし、どれだけ迷惑かけても友達だということ、こんな自分でもどれみに友達だと思ってもらえていることを知り、段々と心を開き始める。かよこはこの後、通学路、学校の保健室、教室までの廊下とゆっくりゆっくりステップを踏んでクラスに戻っていくがそのプロセスでどれみや周囲から言われる言葉もかなりアツい。本気でかよこの心の痛みを受け止め、友達だから迷惑だなんて思わない!かよこの絶望的な転校の原因をどれみの優しさは思いっきり包んだだろう。どれみは、自身も誕生日に思い知った周りのひとに支えられていること、その人たちの大切さをかよこにストレートに伝えただけかもしれないが、ここでどれみのストーリーのなかでの成長もうかがえる。
 最終回、卒業式の日にどれみは感情が爆発して、みんなとバラバラになることを寂しがり、一人で卒業式をボイコットしMAHO堂に立てこもる。魔女見習いの5人はもちろんすぐに駆け付けるのだが、クラスみんなも卒業式を中断して駆けつける(さらっと書くが…)。どれみがいなかったらこんな楽しい学校生活じゃなかった、どれみが応援してくれたからわたしはこれから前に進める、どれみが一緒じゃないと卒業する意味がない、とどれみに卒業式にでるよう説得を試みる(1~4期を見てると嗚咽とまらないシーンです)。みんなの言葉から、どれほどどれみがひとりひとりにとって必要な人間だったか分かる。
 「わたしはやっぱり世界一不幸な美少女」って本当に言ったらきっと厚かましすぎるナルシストで嫌われるだろう。でも自分は世界一の美少女って認めてあげたい素直な気持ちはかわいいし、自分は不幸なんだと面倒でちぐはぐした気持ちこそ、幸せの探求を忘れず、周りに愛される最強のマインドなのかもしれない…

3.どれみとわたし

 2.でどれだけどれみは人格者で、周りに愛されているかを語った上で、自分とどれみを重ねる行為こそ、厚かましいのだが、そこは他己分析で私を「どれみっぽい」と書いたあの人に罪を着せ、実はどれみと共通点がいくつかあるのではないかと思い立ち、なるべくストレートにとことん厚かましく自分を語らせていただく。
 まずわたしも母親には自分はかわいいと思うように育てられた。小さいころ、親戚には「○○ちゃん(姉)は本当に将来美人さんになるわ」と隣のわたしは放っておかれていたらしい。容姿を姉と比べられながらも、母だけは「ふゆもかわいいよね」「昔からずっと可愛かったし、お母さんのなかでは二人ともイチバンだよ」と毎日のように言ってくれていた。それから20歳を過ぎた今でも、容姿以外のことでも他人と自分を比較して卑下するようなことはしたことがないし、自分の納得できる領分で、自分の基準でわたしという人間を肯定できるようになったと思う。それに、世の中いろんな意見があっても自分には絶対見方がいることを教えてくれた母の力はやはり偉大だ。
 また、当初は気にしたことがなかったのだが、小学校の席替えがクジ引きで行われるようになる前(先生が勝手に決めていたころ)、先生はわざとわたしの席の近くにクラスで発言力の強くない子や、問題児と毛嫌いされるような子を配置していたらしい(母が保護者面談で言われたっぽい)。どれみも、転校生は全員どれみの席の近くに座り、それによって転校生がクラスにすぐに馴染めたことを関先生に褒められている。小学校の先生はわたしに、どれみのように、その子たちがクラスで浮かないような何らかのアクションを求めていたのかもしれない。中学の担任にも、所謂学校のカーストなど関係なく、いろんな人と話し、すぐに深い関係を築くことができる、と言われた。最近では、「人間を点とし、組織の人間関係を円の形にしようとするとき、ふゆはその半径をとる人物なんだ。」と人間関係におけるフェアさを褒められた。どれみほど表面化するような影響力でなかったが、いろんな人を繋げる結節点としての役割を無意識に担っていたのかもしれない。
 最後に、このコロナ禍で、本当に自分の弱さ・脆さを認識した。やはりわたしはたくさんの人と交わることで、本当のわたしになれる。コロナ禍で誰にも会わない日々が続いていたときのわたしの心は、どれみが誕生日の日に自己嫌悪に陥った感情と強くリンクすると思ったし、自分という存在を最大化させてくれるのはいつでも周りでたくさんの人が笑っている瞬間だと思う。

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4.まとめ


 恥を忘れて自分をほめてしまったが(ネガティブなときに読んではいけないとメモしておかなければ)、おジャ魔女どれみシリーズを通して、どれみという存在はわたしに大きなパワーをくれた。いつも口先だけは大人ぶって、中身はまだまだこどもな自分に抱いていたコンプレックスも、なんとなく緩んだ。来年大学を卒業して社会人になっても、ゼロ歳からの幼馴染が結婚しても、やはり自分は自分のペースで、どれみみたいに素直さと優しさを強く持って成長を止めたくない。
 おジャ魔女どれみのアニメが終わっても、実はいまライトノベルのなかでどれみ達は生きている。学校の先生になるために猛勉強して浪人したどれみ、その後も臨時教員として正規の先生を目指す。わたしもどれみに負けてはいられない。どれみに励まされながら、就職活動を頑張ろうと思う。


あぁ~はずかし。はずかし。



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