拝啓、松屋のうまトマハンバーグを食べる者達へ。
問いたい。
お前らは本当に松屋が好きなのか?
今日松屋に行ったら激混みでびっくりした。いつも仕事終わりの俺を癒してくれる松屋。日によっては俺と店員の蜜月を演出してくれる松屋。その松屋に有象無象が多すぎる。おかしいだろ。20時だぞ?家帰れ。
この激混みに思い当たる節がある。うまトマハンバーグだ。うまトマハンバーグが始まってから松屋は混み始めた。変わっちまった。客が増えるのはまだいい。松屋も安泰だ。
でもさ、お前ら本当に松屋好きなのか?そう問いたい。俺は去年のうまトマハンバーグで松屋にハマった新参だ。でも一年間、週3くらいのペースで松屋行ってるから客足の傾向はわかるつもりだ。お前らうまとまの為に来るだろ。松屋に。
松屋はうまトマだけじゃない。豚カルビとかシュクメルリとか美味しい期間限定がいっぱいある。通常メニューだって美味しい。カレーははずれないし、ネギ塩カルビだって酸味があってさっぱりして美味しい。それをわかってうまトマを食べているのか?
わかってるならいい。普段の松屋を愛し、その上で、数ある美味しいメニューからあえてうまとまを選ぶなら良いんだ。愛の向上心が高い。天晴れだ。
だが、うまトマのみを目当てにこの時期だけ松屋に来る奴。お前だよお前。帰れ。
うまトマは普段のメニューよりも圧倒的に違う部分がある。それが何かわかるか?凡百の一般人達よ。
にんにくだよ。にんにく。普段の松屋からは想像もつかないような打撃があるんだ。俺たちマツヤニスト(松屋によく行く人のこと。俺が名付けた)はそのギャップを楽しむんだ。華奢な体型の女性が1人で家系ラーメン屋に行き、ライスを海苔で巻いて無限に食べ続けるところを見たような、そんな非日常的なときめきを感じにうまトマを食べるんだ。うまいからだけではない。
うまトマは刺激的だ。真夏の太陽のようにギラギラと輝く赤い見た目、これ食べたら人と話せないと思うほどの芳醇なニンニクの香り、それらの前情報を裏切らない味、それ意味あんの!?って思うようなサラダ。うまトマは刺激的でアンバランスな食べ物なんだ。それに気づいて食べているのか?研ぎ澄ませ。感覚を。
なぜ俺がうまトマを諦めなくてはならないんだ。今日何のために仕事頑張ったんだ。うまトマの為だろ?入試の結果発表の時みたいにズラーっと番号がモニターに表示されてるのを見て俺は絶望した。しかも券売機の前にも人が溜まってる。この券売機に人が溜まっている状況こそ、お前らがうまトマの時期だけ松屋に来る確たる証拠だ。夜光に惹かれる虫みてえに集まりやがって
いいか?教えてやるよお前らに。松屋の券売機は敵なんだ。あの処理がクソ重い券売機は、松屋に入る俺たちを阻む最後の砦なんだ。一度でも操作を間違えてみろ。最初の画面に戻るのに20秒は操作を受け付けない(実体験)。一度選んだメニューを取り消すのは至難の技だ。スマホ広告のバツボタン並みに当たり判定の小さい取り消しボタンは、判定が渋い上に反応も渋い。お前らは一度選んだメニューを取り消したつもりで違うメニューを2つ選んでるぞ。今日の夕飯は2人前だ(実体験)。
あの券売機の攻略法はただ一つ。「精神統一」である。一瞬でも気を抜くな。着実に牛歩の如く画面を遷移させろ。それもわからずにオドオドしてるようじゃマツヤニストとは呼ばないぜ。
ああ、悔しい。悲しい。辛い。
俺がうまトマを食べたかったように、うまトマも俺に食べて欲しかったはずだ。明日から来るかもわからんにわかよりも、慣れ親しんだ顔見知りの俺に食われなかったはずだ。どうせうまトマが終われば客足は遠のく。それを感じながら俺はまた一年、松屋を哀愁とともに食すのだ。
今日初めて松屋に行ってうまトマを食べた奴、1年ぶりに松屋に行ってうまトマを食べた奴、お前らは罪を背負っている。償う方法はただ一つ。通え、松屋に。
俺はまだ償いの途中。いつ許されるのかはわからない。だけど、それでも松屋を食べ続けてまた来年一緒に今年よりも少し晴れやかな気持ちでうまトマを食べよう。
未来で待ってる。まだ至れていないマツヤニスト達よ。
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