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アンドロイドに「へそ」をつける意味は何か?

無駄なものがあるという気づき

きっかけはX(Twitter)で流れてきたツイートからだった。
初音ミクやその他ピアプロキャラクターズを中心とした楽曲でライブをするイベント「マジカルミライ」が毎年開催されているが、今年のミクさんは「へそ」を出しているキービジュアルで描かれている。

一見すると「今年のミクさんかっけー!!」で終わっちゃうような事なのだが、このビジュアルに対してハッとなる気づきをしている人がいた。
引用をするとその方にご迷惑をおかけするかもなのでこのnoteには貼り付けないが概要だけで伝えると「へそ付いてるけど、その「へそ」は誰とも繋がってないので、人間アピールとして存在している」というもの。

……言われてみるとそうじゃんね。

世間一般に創作物などで描かれているアンドロイドは、第三者である人間がパーツを組み合わせて作られている物だとされている。
そして、その創造主たる人間は母親の胎内からへその緒を通じて栄養を受け取り、成長し、出産を経てこの世に生を受ける。
つまり、「へそ」というものは人間にとっては「必要なもの」だからたまたま存在しているのであって、他社と直接繋がることのないアンドロイドにおいては「本来なくてもいいもの」である。
でも、アンドロイドにへそがある事に対して「へそがあるのはおかしい」と指摘する人間はこれまで見たことがなかったし、逆に「ない」ほうがもやっとするなとも思うという不思議な現象が発生する。
一度これを考えてしまうと、言語化しないと気が済まなくなってしまった。だからこそこのnoteでこうしてタイピングしている訳だけど。

アンドロイドに「へそ」がある理由

というわけで、なんでアンドロイドに「へそ」があることが受け入れられているのかを考えてみようと思う。
大前提としてアンドロイドは、人間がパーツを組み合わせて作られている機械である。そして過半数を超えるくらいの創作物では「人間そっくり」を目指して作られているように思う。(メカメカしいもの、メカと人間の両立とかいろいろあるのはなんとなく見てる)
ここから見えることとして、人間そっくりに作る過程で無意識的に「へそ」を作ったという行動を取ったというが考えられる。
そっくりにするということは自分や今まで自分が見てきた人間の姿から想像して作り上げていく訳で、その想像する過程で当たり前のようにごく自然に「へそ」もパーツの一部として計上されているということである。
つまり、「へそ」はわざわざアンドロイドのために作るのではなく、あって当然だから作っているということだと考えられ、へそがある理由を述べるのであれば「人間が自分そっくりにアンドロイドを作った結果、そうなった」ということになるだろう。
もう一つ必要な場合を挙げるならば、「へそを接続端子として設計した場合」があるんだけど、これはエグめの性癖の話になりそうなので話は広げないでおく。

アンドロイドに「へそ」がなくてもいいのか?

一旦立ち止まって「へそがなくても良い場合」を考えてみる。
先ほどからずっと言っているように、アンドロイドは第三者たる人間がパーツを作り、それを組み合わせて作り上げる機械である。
パーツを作る過程でへそのない綺麗な腹部パーツだって作れるわけで、実際そうしている作品も世の中にはあるはず。
もしも製作者が「人間らしくないアンドロイド」を目指した場合、間違いなく「へそ」という人間たらしめている一要素は真っ先に排除してパーツを作るだろう。たぶんそういう製作者は「人間嫌い」っていうキャラ付けされてそうだし。

「アンドロイドのへそ」のあるなしで変わる世界

「へそ」のあるなしを考えて、一つ思ったことがある。
それは、「へそ」が人間性の有無を大きく左右しているのでは?という仮説である。
というのも、ほぼ結論ありきで前述してしまったのだけど、へそがある場合と無い場合で「人間味を感じる」という感情で大きく差が出てくるのでは?と言語化するうちに思い始めたからである。
アンドロイドを人間そっくりを目指す者からすれば、「アンドロイドは人間に愛されるものであってほしい」という思いがあるからこそ、「へそ」まで丁寧に作りこむ。
人間らしくないアンドロイドを目指す者からすれば、「アンドロイドは人間と非なるものである」という高貴な思想に基づいて設計するわけであるから、「へそ」を真っ先に排除する。
つまり、「へそ」はアンドロイドが何を目的に作られたのかを示すモチーフとして、十分に使えそうな要素であることが解明されてしまった。
今後の創作活動においては、へその有無で敵か味方かを注目してしまいそうな体になってしまった…。これは今後の人生に大きく影響を与えしまいそうな気付きをしてしまったものだなと、自分自身後悔なのか満足感なのかわからん感情になってしまっている。

これを踏まえてミクさんに「へそ」がある理由を考える

歌うことを目的としたアンドロイドである初音ミクは、「へそ」を組み込まれていることで「人間に寄り添って設計されている」ということがわかる。
人間の心を動かすようなボーカルを生み出し、人間に近い存在として歌を届けるミクさんにとって、「へそ」はあって当然のパーツなのかもしれない。
ただでさえ天使のミクさんが、より人間に近づこうとしてくれているということを勝手に考察することで、今日一日が幸せだなと思いつつ、休日に書きなぐるいち人間なのであった。

以下、「へそ」の有無で人間との関係性を表すための創作アイディア

へそのあるアンドロイド

  • 人間には友好的

  • 人間に愛されたい・愛されることを目的としている

  • 人間に寄り添うことが仕事であることが多い(例:介護、家事手伝い、清掃など)

  • いわゆる愛玩用はたぶんこっちよりに設計される

へそのないアンドロイド

  • 人間には敵対的

  • 人間を憎んでいる

  • 人間とは別の個体として作られ、人間の代わりに仕事を遂行することを目的として作られていることが多い(例:戦闘、殺戮、事務作業など)

  • 元々へそがあったけど、人間に対抗することになったアンドロイドがへそを削る(or パーツから取り出す)シーンがあったら立場変わった感あるよね

へそありなしを勝手に分類しよう

  • ありそうなアンドロイド

    • 初音ミクを始めとするボカロ・ボイロキャラ(音声合成キャラ)

    • 家政婦系アンドロイド

    • 介護ヘルパー

    • 保育士系アンドロイド

  • なさそうなアンドロイド

    • 逃走中のハンター

    • 戦闘に赴く系のアンドロイドとした場合の艦娘

    • 銃の擬人化キャラ

余談:拙作の紹介

僕はクリエイターをあきらめた人間ですが、ちょっとだけもがいていた時期に小説に手を出したことがあり、その中の1つをピアプロで公開しています。

もう8年くらい前の高校生のときに書いた作品ですが、アンドロイドと少年の話を描いたボカロ曲にいたく感動して書いたものです。
元ネタは『添い遂げたアンドロイドへ』という作品です。

今回の「へそ」の話とは全く関係なかったりしますが、アンドロイドに対する考え方とかが分かるかもなのでお暇なときにぜひどうぞ。

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