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嵐が丘(小説)、面白いんだぞ ほか(リンバス絡めつつ)



嵐が丘(小説)、面白いんだぞ

リンバスきっかけではあったけど、嵐が丘は6章の前に読破しました。
正直…リンバス云々抜きで、個人的にここ数年で読んだ小説トップ10には絶対に食い込んでくる。。
とはいえ、嵐が丘=古典というイメージで出版社によっては訳も小難しくて障壁が高いのか、知り合いにすすめてもなかなか最後まで読む人はおらず…。
というわけで、個人的に嵐が丘の好きなポイントを書き連ねようかと。ついでに、原典を踏まえて6章で感じた事を追記。6章、無限に感想が浮かんで困る。

嵐が丘=ただの恋愛小説と言うには惜しい!

「嵐が丘ってどんな話?」と聞くと、大体「恋愛小説」「悲劇」「主人公が失恋して復讐する話」という風にまとめられてしまいますが…
これは正直、氷山の一角どころか、氷山の表面を削ってちょっとかき氷にしてしまったくらい勿体ない。。
個人的にまとめると、嵐が丘は…魂と想いが全てを巻き込んで、焦土となった地に最終的に一輪の花が咲く話です。

な…何を言ってるか わからねーと思うが…

ざっくりとしたあらすじ

6章を通過した皆さんならご存じの通り…アーンショウ家に拾われた孤児・ヒースクリフはキャサリンとともに仲良く成長するが、ヒースクリフを唯一擁護していたアーンショウ父が亡くなったのをきっかけに、彼を嫌うヒンドリーによって地位を落とされ、虐待される事になる。同時期にとある事件でキャサリンはリントン家でしばらく過ごし、以前とは打って変わって大人びた姿を見せるようになる。このキャサリンとの隔たりがきっかけとなり、キャサリンの「ヒースクリフと結婚すると路頭に迷うことになる」という言葉が止めとなって、ヒースクリフは嵐が丘から出奔する。3年後、エドガー・リントンと結婚したキャサリンのもとに、金と力を得て立派になったヒースクリフが帰還する。キャサリンとの再会の喜びも束の間、ヒースクリフの凶暴な一面が露わになっていく…

ポイント

復讐劇、というのも変なんですよね。復讐劇というと、勧善懲悪のような鮮やかな目くらましというか、どこかしらスカッとするものを自分は期待しがちだけども…スカッとする要素は皆無。そういう要素を期待しない方が良いと思います。
どちらかというと、顛末が全てネリーによって語られるのも有って、ヒースクリフの恐ろしさが上回る。というのも、凶行に及ぶヒースクリフが何を考えているか始終分からないので。そこも、彼の心理状態を推理しながら物語を読み進める所が、面白いと感じたのですが…。
最後の最後まで、彼の事が理解できないので「お前は一体何を考えているんだ…ヒースクリフ」という気持ちで読んでいた記憶。

更に特徴的なのが、登場人物一人ひとりが人間らしいというか、フルで肯定できるような完璧な人間が(ネリー含め)一人も居ないこと。例えば、嵐が丘のキャサリンは気性が荒く、時には理不尽な言葉をネリーに投げかけたり、一見浅慮だと思える行動をしたりする…そういう一面を見るたび、「お姫様って言っても、この年頃の世間知らずの女の子ってこんなもんだよね」という作者の冷めた視線を感じるのが、とても良い。ある意味、現実的というか。そういう夢を持たない姿勢が、この物語にも反映されているんだろうという気がします。

そして、この小説は恋愛小説だの復讐劇だのという簡単な言葉では終わらせられない。それは前述した通りでもあるのですが、これは特に中心人物となるヒースクリフとキャサリンの行動原理が単なる恋愛感情、復讐心だけでは説明がつかないと感じるからです。キャサリンの有名なセリフ「I am Heathcliff(私はヒースクリフなの!)」という言葉から分かるように、彼らは互いが半身であるかのように、強い精神的な結びつきを互いに感じているし、そこから生涯逃れることができない。それゆえ、二人が交わす言葉からはまるで命を削るような苛烈さを(特にヒースが帰還してから)感じる。
そして最後まで読むと分かるヒースクリフの心情…彼が何を感じて今まで生きてきたか…それが判明した時に、血を流すような、互いに傷つけ合って痛みを分かち合うような、傷を伴う強い繋がりと離別の苦しみを感じて、こっちの心を刺してくる…
それでもって、最後はぼろぼろの荒れ地に一筋の光が差す…それは光と言うには弱弱しいし、もしかすると途切れてしまうかもしれないが、それでも希望と呼ぶには、残された者にとって十分すぎる明かりだったんです…

結末をぼやかしながら本編の紹介をするとこんな感じですかね…まとめると、

  • ぬるい話は求めていない

  • 暗闇の中に一筋の光が差す的な話が好き

こんな人におすすめです。長編でもないし、比較的読みやすい古典だと思います。唯一難しさを感じるとしたら、同じ名前の登場人物がたくさん出てくる事・・・それも光文社古典新訳文庫のしおりが有れば()分かりやすくまとめてあるので、大丈夫です。翻訳も当文庫がおすすめ。ぜひ読んでみてください。

嵐が丘のネタバレあり感想・考察


推しはヒースクリフです

推しはヒースクリフです。嵐が丘の中でね。
私としては、多分20代くらい?の、表面上紳士を装いながらも、騙されてほいほい近付いてきたイザベラとか子キャシー(キャサリンの娘)とかをぶん殴っちゃうヒースクリフがさいこ~~と思ってます。序盤の子供時代も可愛いですね。いじわるで叩かれても目を見張るだけっていう。でも奥底には苛烈な本性が隠れてるんだね…。かと思えばネリー曰く「幼少期からのはにかみ屋の性分(うろ覚え)」「子供の頃から暗い世界に沈むのが好きで、妖しい幻想をもてあそぶようなところがございました」とのこと…読み進めるほど、彼の事が分からなくなるし分かりたくなる。多面性、またの名ギャップ萌えです。
他では血も涙もないという感じなのに、キャサリン関連となると感情が出るところも良い。キャサリン(死後)の事となると、泣いちゃうし、弱弱しくなるもんな。本編であんなに暴言を吐いているのにキャサリンには決定的な暴言は吐かない所も…何か…一途で良いですよね。
キャサリン死後のあまりの暴虐の数々(特に対子キャシー)で「おい…キャサリンが死んで気が狂ったのか、逆に吹っ切れたのか?!」と感じたんですけど、最後のネリーへの独白で、実は根が深く張った苦悩を昔から抱えていて、そんな中でキャサリンを偏狂的に愛している…という事が分かるお陰で「ああ、やっぱりヒースクリフだったんだな」という思いと「彼は、こんな風にしかなれなかったのか?」という悲しさに襲われる。
そして、最後は誰にも寄り添われず、孤独に嵐の吹き込む部屋の中で死んでいく…最高っす。

ヒースクリフが消えればキャサリンは幸せになるのか?

さて、6章で魔王ヒスはすべてのヒースクリフを消しにかかってきましたが、確かに私も「この物語、ヒースクリフが拾われなければ全員幸せになれたのでは?」と思ってしまう事が有りました。
ヒースクリフが居なければヒンドリーはあそこまで捻くれる事も無かっただろうし、エドガーもイザベラもヒスキャシの厄介な嵐に巻き込まれる事なく。キャサリンは…正直、小説読んだ時点では、ヒースクリフに出会わなければそれはそれで普通に生きていそうだと感じました。だから、最初からヒースクリフが拾われて来なければ、アーンショウ一家もリントン一家も、その子供たちも本来より幸せになってたのではないでしょうか。ただ、それはヒースクリフを除いてです。彼は拾われなければ死ぬしか無かっただろうし。死か悲劇か、初めから彼には2択しか残されていなかったわけです。。悲しいね。

痛烈な孤独

だが、こんな人生が続くのはやりきれん!息をするのも辛く、それどころか心臓がうごいていることさえ思い出さなくてはいけない人生なんだからな!まるで硬いスプリングを逆方向に曲げるようなもので……どんな小さい行為をするにも、むりをしてがんばっているのだ。一つの思想に唆されてやってるんじゃない。何かが生きているとか死んでいると認めるのだって、むりをしてそうしているのだ。それはひとつの普遍的な思想と結びついてはいない……おれの願いはただひとつだ。そしておれは全身全霊、全能力を挙げて、その普遍的な思想に到達したがっている。この願い、全能力は、 じつに長いあいだ少しも揺らぐことなくその普遍を追究してきたから、おれはいずれ到達できると確信している――それも『先の話』じゃない――なぜなら、それはおれの人生を蝕んできたんだからな――おれはそれを達成する期待に吞み込まれているんだ。 

嵐が丘<下>、p.380

終盤の、ヒースクリフの独白から抜粋。思想とか小難しい言葉を使うと意味分かんなくなっちゃうんですけど、これはつまり、「周囲の人間と自身が同様だとは思えない。そして、普通に生きる事すら非常に苦労する。だから、いつも普通になりたいと願ってきた」という意味かなーと自分は解釈しました。そして、本来はこの感覚を分かち合えたキャサリンという仲間が居て、彼女だけは自分の仲間だった。しかし、彼女を失った今、彼は真の孤独という訳です。
しかし、そうではないと否定するため、彼は様々な企てを行った。これは特にキャサリン亡き後に言えると思います。彼を否定する存在、そのことを思い出させる存在を片っ端から消していけば、彼はようやく、世界に存在を受け入れられるかも知れない。

加えて、ヘアトンの存在はやや復讐から外れた物を感じないでもありません。ヘアトンはヒンドリーの息子という事で、ヒースクリフから勉強の機会を与えられず、幼少のヒースクリフのように、召使いとして育てられます。傍から見ればヒースクリフ2世ですよ。これは、憎き仇の子供を貶めるという意味も有りそうですが、どこかしら自分の似姿(=仲間)を造ろうとしているように思えなくもないと感じました。ヘアトンから懐かれている事を、憎からず思っていたようだし(子キャシーが、ヘアトンにヒースクリフへ刃向かわせようとした時に、ヒースクリフは激怒していた)。しかし、ヘアトンはヒースクリフを慕ってはいたものの、その姿はキャサリンを想起させ、そしてヒースクリフが不在の家で、子供たちは幸せそうに笑う、かつての自分とキャサリンの様に…。この時に、ヒースクリフはヘアトンの事を「失われた自分の過去」、「今の自分とは異なる存在である」と認識して、自分が世界の膿である事をまざまざと見せつけられたのではないでしょうか

リンバス6章と比較など

魔王ヒースクリフ

魔王ヒースクリフは原作小説のヒースクリフなのか?と言われると、うーん…微妙。そう言う訳ではない気がします。
どちらかというと、ヒースクリフの本音だけを抽出したような…最後の、独白の時のヒースクリフに近い気がします。正直、嵐が丘の中で誰が一番ラスボスとして相応しいか考えた時、ヒースクリフしか居らんやろ…と思っていたので、彼の登場は納得でした。
囚人のヒースは思ったより光寄りだったし、魔王ヒースは病みというか…あんまり原作のヒースクリフという感じは(個人的には)しませんでした。或いは、推しの理想像を固定させ過ぎているのかもしれない。

キャサリン、すごくしっとり

キャサリンも、原作よりかなり良い子に…原作だと苛烈で、割と身勝手で、意地悪な所もあると感じていたのですが、思ったよりちゃんとヒースクリフの事が好きだった。。原作キャサリン、普通にヒースクリフの悪口言ったりするんですよね。あいつは獰猛な狼だ、優しい心は欠片ほども無いとか。(でもヒースクリフは絶対にキャシーの悪口言わないしキャシーが傷つけられると凄く怒りを露わにするんですよね。良いね。)かなり気性が荒いので、ネリーともあまり仲がよろしくないし、旦那のエドガーの事はめちゃくちゃに振り回しています。まあ…6章キャシーも周囲の人間ぶん回して死にまで至らしめていたような…でも、あれはどちらかというとミステリアスなファム・ファタルですね。一見ちょっと合理的で、冷たい感じがするキャラクターになっていた。本当は、そうでは無かったんですが;;
だから、原作キャシーの敗因はツンデレのツンが強すぎたというか(あるいは身勝手?)…これに対して、6章キャシーの敗因はひたすら不器用って感じです。悲しいね。

プロムンもネリーは可哀そうだって思ったんだね

ネリーさんは原作でも、常に味方と言う訳ではないけれど、割とヒースクリフを心配していたり、なんだかんだヒースクリフに融通をきかせたりしてしまいます。(おっと、原作「でも」というのは違ったか…。)個人的に、幼少期ヒースを綺麗にしてあげて、「しゃんとしなさい!あなたは格好良いのよ!」と励ましてあげるシーンと、キャシー死亡の報告を聞いたヒースクリフを見て「どうして泣くのを我慢するの!可哀そうな子」と心の中で思う…という所が好きです。とはいえ、ネリーも人間なので一番初めは幼心ながらヒースに意地悪したり(実はネリー、原作だとヒンドリーと同い年)時には危険な彼を拒絶したりと、人間らしいところもあり。
とはいえ、わがままなお嬢さんと暴風雨みてえな野郎を始めとしてやべーやつらに囲まれて、そんな中で主がころころと変わりながら、荒事(?)に巻き込まれ続け…確かに、イヤになっちゃう世界線のネリーも居るかも知れないね。
語り手なのでなんとなく彼女の存在が薄まりがち(地の文的な印象で)ですが、よくよく考えると本当に苦労している。。ヒースに腹パンされたり監禁されたりもしていたし。でも、ヒースも最後に独白を彼女だけに聞かせる位には心を許していたのが、、なんというか。。かなりマイナス寄りのなツンデレかな。
6章のネリーは、原作よりかなりヒースクリフと親し気だったので、驚きました。おそらく下編の裏切りに向けた下準備だったんだろうけど、光のヒースクリフに傾いた一因だとも思っています。元気にしてるかな、ネリー…。


…とまあ、嵐が丘は話も登場人物もボリューミーで、しかも比較的短めの、良作でございます。6章を回っている時は、原作厨を前面に押し出してもなお、有り余る楽しさでした…。ただ、これは「嵐が丘という下地あってこそ」という、この作品でしかできない良さがつまりに詰まった結果でもある思うので…E.ブロンテとプロムンに盛大な拍手と感謝を。エミリー、なぜこの作品しか残してくれなかったんだ…。

さて、次の7章に向けて、ドン・キホーテでも読みますかね~~^^
えっ、、ぜ…全6冊~~~?!(白目)

参考文献
Brontë, E., & 小野寺健. (2010). 嵐が丘 /  E・ブロンテ著 ; 小野寺健訳. 光文社.

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