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東海オンエアのはなし


東海オンエアに救われたことがあります。

救われただなんて大袈裟な、と思われてしまうかもしれないけれど、あの頃私はたしかに東海オンエアに救われていました。


時期としては2019〜21年頃。

ここに詳しくは書かないし、きっと世の中にはもっとたくさんの、比べものにならないほどの悲劇や不幸があるのだろうけれど、私にとってはどん底だった日々。

よく、死にたいなあと思っていました。

もっと正確には、これからも生きていく自信がないな。生きていくことの方が、死んでしまうことよりよっぽど怖く思えるなって。

痛いのも苦しいのもいやだし、家族や友人たちを悲しませたくもないから、泡のようにしゅわーっと消えてしまいたい。最初から何も無かったかのように。そんな気持ちでした。


いつだって私を救ってくれた本や映画の世界に集中できないことが増えたのも、この頃。あのときも、あのときも、私を助けてくれたのは本や映画だったのに。

楽しいことや好きなことをするのにも体力が必要なのだということを、初めて知りました。


東海オンエアのことは、それ以前から好きでよく見ていました。

まだ彼らのことを何も知らなかった頃は、「やんちゃ」「汚い」「下品」というイメージが先行して、見る前から苦手だと思っていたし(ごめんなさい)、そもそも YouTuber という存在自体にあまりいいイメージを持っていませんでした。

でも、何かのきっかけで、たしか「寝たら即帰宅の旅」だったと思うのだけど動画を見て、気づけば夢中になっていました。

偏見や先入観はよくないなあと、あらためて学ばせてもらえるきっかけにもなりました。

(やんちゃ、汚い、下品のイメージはそこまで間違っていなかったとも思うけれど……笑)


東海オンエアの、メンバー同士仲が良いところに惹かれました。

私はいわゆる ”ガチ恋ファン“ ではなく、特定のこの人が好き!という推しもいません。

ただ、個性豊かな6人がわちゃわちゃと騒いでいるのを見るのが好きで、にこにこゲラゲラ笑いながら、同時に安心もしている。そんな感じです。


とくにお気に入りの動画は、このあたり。


それは “どん底の日々” も変わらず、むしろ東海オンエアを見る時間はどんどん増えていきました。気に入った動画は、何回もくり返し見たり。

いつも気持ちを軽くさせ、笑わせてくれたのが東海オンエアでした。

6人がただわちゃわちゃと楽しそうにしているのを見るだけで、安心できました。


その頃に読んだのが、朝井リョウさんの『どうしても生きてる』に収録されている短編「七分二十四秒め」。

この作品には、「トヨハシレンジャー」という名前の YouTuber が登場します。

彼らは「二十代半ば」の男性グループで、地元・豊橋市を拠点に活動しています。

メンバーは中学高校の同級生で、「ジャンケンで負けたメンバーが吐くまで嫌いなものを食べてみたり、手作りのイカダで極寒の季節に川下りを試みて失敗したり」、「まんぷく堂」のラーメンを深夜に早食いしたりします。

言うまでもなく、東海オンエアがモデルになってるようでした。


主人公の依里子は、息苦しい毎日の中で、そんなトヨハシレンジャーの動画を見ることが生きがいになっているのです。

 その動画を観ている間、依里子は、何の感情も動かなかった。何の学びも得なかったし、ただただ時間を浪費し目を疲れさせているという感覚しかなかった。脳が溶け、音を立てて偏差値が落ちていく気がした。
 だけど、それでよかった。(中略)何のためにもならない動画。だけど、それを観られる昼休憩の時間が、自分の命を二十四時間ずつ必死に延ばしてくれる、最後のてのひらのような気がした。

129頁

 女性が女性として生きること。この時代に非正規雇用者として働くこと。結婚しない人生、子どもを持たない人生。平均年収の低下、社会保障制度の崩壊、介護問題、十年後になくなる職業、健康に長生きするための食事の摂り方、貧困格差ジェンダー。生きづらさ生きづらさ生きづらさ。毎日どこに目を向けても、何かしらの情報が目に入る。生き抜くために大切なこと、必要な知識、今から備えておくべきたくさんのもの。それらに触れるたび、生きていくことを諦めろ、そう言われている気持ちになる。(中略)生きていくうえで何の意味もない、何のためにもならない情報に溺れているときだけ、息ができる。

130頁

この作品を読みながら、声を上げて泣きました。本当に、わんわんわんわん泣きました。

これこそ、私が東海オンエアを見ている理由だと思ったから。東海オンエアが好きな理由だと思ったから。

私も、東海オンエアを見ている間だけは、息がしやすかった。難しいことや苦しいことをすべて忘れて、何も考えず、ただ笑っていられました。

そんな時間がどれほど貴重で有難かったか、とても言葉にはできません。この短編に、朝井リョウさんに、初めて言語化されたようでした。


依里子は、「まんぷく堂」のラーメンを食べながら、こうも考えます。

 いいなあ。
 これを真夜中に食べきって、おいしいって言える生命体として駆け回ることができたら、この世界はどれだけ楽しいのだろうか。(中略)小さな画面の中で毎秒更新されるような生きづらさがそもそも目に入らない一日を終えて、こんなふうに真夜中に仲間とラーメン屋に駈け込むことができたら。この世界は、どれだけ。

131頁

本当にその通りだなあ、と思いました。

そして、私が東海オンエアを好きな気持ちには、「この人たちから見える世界はどんなだろう」という羨望が含まれていることに気づきました。


それからゆっくり、ゆっくり、私のどん底の日々は回復にむかい、東海オンエアのことは変わらず好きでしたが、いつのまにか動画を見る時間も減っていきました。



念願の岡崎市に遊びに行ったのが、今年の初め。

東海オンエア好きの友人と自転車で “聖地巡礼” するのは本当に楽しかったし、ずっと食べてみたかったまんぷく屋のラーメンを食べて、りょうくんのコーヒー屋さんに行き、いつも動画で見ていた場所に行けて、とっても嬉しかったのだけど……

なんだか、もう今の私にとって東海オンエアはそれほど「必要」ではなくなったのかもしれないなあ、とぼんやり感じていました。

ありがとうね、もう私は大丈夫かもしれない、というような。


そして、この間の騒動です。

最近ではめっきり動画を見ることもなくなり、すっかり疎遠になっていた東海オンエアの情報がふと目に入りました。あやなんさんの X(Twitter)がおすすめに表示されたことがきっかけでした。


私は東海オンエアがいちばん好きな時期もメンバーの SNS を見る習慣はなく、しばなんチャンネル含め、東海オンエアの動画外でのことはあまり知りません。

だからこれまでの炎上とも呼べないいくつかの出来事についてはぼんやりとしか知らなかったし、ほとんど関心も持ってこなかったのですが、今回は今までのとはちょっと違うかもしれないぞ…… と胸騒ぎを覚えました。


しばゆーとあやなんさんとのこと、あやなんさんとてつやとのことは、第三者である私には何一つ正確なところはわかりません。

私は、どんな関係性でも(夫婦であっても友人関係であっても)両者の間で何かがこじれてしまうとき、どちらか一方が 100% 悪いということはあり得ない、と思っています。

たしかにあやなんさんの言動は誤解を受けても仕方ないほど正直なものだったし、東海オンエアの視聴者としては、あやなんさん一人に「悪役」を背負ってほしいという気持ちも理解できますが、それはすごく偏った見方だと思うのです。

だから、ここではそのことについてこれ以上触れたくないし、あやなんさんにヘイトが集まってしまっている現状を心配に思います。どんなに強い人でも、無数の言葉の暴力には必ず削り取られてしまうものだから。


ただここで私が言いたいのは、しばゆーのこと。

しばゆーの “暴走” が始まってから、きっと多くの視聴者がそうだったように、私も X を見守り続けました。とにかくしばゆーのことが心配でした。

型破りで常識にとらわれないしばゆーは、私にとってもユニークな人。

だからこそ私は「この人から見える世界はどんなだろう」と羨望を抱いたのだし、日頃私が気になって息もつまってしまうような瑣末なできごとから、彼は自由なのだと信じ込んでいました。

もちろん、一定以上東海オンエアを見たことがある人ならわかる、しばゆーの優しさや聡明さも知っています。でも、あくまでもしばゆーはしばゆーで、どんなカテゴライズにも属さない「しばゆーという存在」でした。

それは完全な間違いではなかったのかもしれないけれど、しばゆーの投稿を読みながら、しばゆーごめんね、ごめんなさい、という気持ちになるのを抑えることができませんでした。

ずっと孤独でした。
みんなに言ってる事伝わらないとか
天才ゆえの孤独的な感じですか?
自分で言ってるのキモいですけどね!笑

これから
天才じゃなくて僕、凡才でお願いしますね。
プレッシャーなのでどうか
何も求めないで頂けると心が平穏になります。
今正直パニックになりすぎて
身体がなにも動かない状態です。

2023-10-18 Xより

最後に一つだけ言いたいです。

もうこれ以上二度と
現実でも、ネットでも
私柴田裕輔を
【珍しい動物】呼ばわりするのは
辞めてください。

同上

一視聴者で、しばゆーに会ったことはおろか直接コメントやメッセージを送ったこともない私がこんなことを思うのは傲慢なのかもしれませんが、本当にごめんなさいと、しばゆーや東海オンエアに謝りたくなりました。

私はずっと、どこかで、この人たちは無敵の存在なのだと勘違いしていたから。

頭では〈こんなふうに見えても裏では見えない努力もしていて、視聴者にはわからないプレッシャーもあるのだろうな〉と思いつつ、でも、本心では、それこそ「珍しい動物」のように彼らを見ていたのかもしれません。

いいなあって。「この人たちから見える世界はどんななんだろう」って、呑気に思いながら。羨望しながら。


だけど、言わないからといって、何も感じないわけではない。優しいからといって、何も思っていないわけではない。いつも笑っているからといって、苦しみがないわけではない。そんな当たり前のことを突きつけられたようでした。

私は何度こういう思い違いをくり返してしまうのだろう、とも思いました。


絵文字でいっぱいの、本人もエンターテイメントと半々だと言っていたあの騒がしい投稿のなかにある、いくつかの本音たち。

どうか無事で、と思いながら、言葉にならない反省と気づきを与えられたようでした。

また、自由に生きたいように生きている(ように見える)彼らでさえそうなのだから、やっぱり生きるということは一大事業なのだなあ、と改めて痛感させられました。


騒動から少しして。

東海オンエアの今後が正式にアナウンスされる動画が出たとき、沁み入るように、ああ、やっぱり東海オンエアが好きだなあ、と思いました。

たぶん、あの動画を見た多くの視聴者が感じたことじゃないかな。

気になっていたこと、心配だったことを全部説明してくれてありがとう。みんな揃って(しばゆーは療養中だったけれど)顔を見せて言葉にして、伝えてくれてありがとう。こんなときでも笑わせてくれてありがとうって。

そんなことを言いつつ、おまえは最近全然動画を見られていなかったじゃないか、と言われたらそれまでですが。

やっぱり私は、東海オンエアが変わらず活動しつづけてくれていることが嬉しいんだなあ、とものすごく勝手なことを思ってしまいました。


ヨシタケシンスケさんの『思わず考えちゃう』という本に、「あなたのおかげで、私はとうとうあなたが必要なくなりました。今まで本当にありがとうございました」というフレーズがあります。

私のなかで東海オンエア熱には波があって、しばらく見ていなかったけれどまた見始め、それまで見ていなかった動画も一気に見る、ということがこれまでにもあったので、もしかしたらまた再熱することもあるのかもしれないですが……

今の正直な感覚としては、ヨシタケさんの言葉がしっくり合います。


あの頃私は、自分で思っているよりもっとずっと東海オンエアに救われていたのだと思います。

世間では「脳死」とか「時間を溶かす」とか悪く言われがちなからっぽの時間が、あのときの私には必要でした。


だから、心からのありがとうを。

そして、そうは言ってもあなたたちだってそんなに無敵なんかじゃないよね、非現実的な物語の登場人物のように見てしまってごめんなさい、という反省と。


結局何が言いたいのか自分でもよくわからないけれど、今回の騒動を受けて、少し思いを言葉にしてみたくなりました。


今はただ、しばゆーの回復と、関係するすべての方が少しでも納得のいくかたちで物事が収まるよう、部外者ながら願っています。

しばゆーはもちろん、しばゆーの家族、東海オンエアのメンバー一人一人が、これからも心穏やかにやりたいことをして、生きたいように生きていけますように。


長くなってしまったけれど、もしここまで読んでくださった方がいれば、本当にありがとうございました💐


東海オンエア、救ってくれてありがとう。

また動画を見ます。

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