言ってみるだけで、幸せになる方法
師匠コバさんの『波平の闇』を読んで笑、ふと思った。
私、いつから夫にコーヒーを入れてもらうようになったかな??
前は私もフネさんと同じで夫にコーヒーを入れていた。
そうだ、カウンセラーさんのブロブで「コーヒーを淹れてと言ってみよう」「願いを口にしてみとう」それが叶うか、叶わないかではなくて、自分の願いを口にしてみよう、というようなことを読んでからだった気がする。
そして、母が家で父に「お父さん、コーヒーを淹れて」「人に淹れてもらったコーヒーは美味しい、美味しい」と言ってにこにこと飲んでいたのを思い出したからだ。
母もまた、前から人にコーヒーを淹れてもらう人ではなかった。いつの頃からか、入れる人から、にこにことコーヒーを飲む人になっていたのだ。
そんなことをふと思い出して、私は「なーんだ。お母さん、もう幸せだったんだ。」と、ストンと心に落ちてきた。
どんなにお母さんはあれで幸せだったと思おうとしても思えなかったのに、たったコーヒーを淹れてもらってることを思い出しただけで、スントとふに落ちた。
『言ってみる・お願いしてみる・聞いてみる』ってすごく大事だな。
そして、母が「人に淹れてもらったコーヒーは美味しい。」とニコニコと飲んでくれるので、私も母にコーヒーを淹れて、母をニコニコにできて嬉しくなっていた。
誰かに何かをしてもらうことは、相手の愛を受け取る行為でもあるし、愛を与える行為でもある。母が私が淹れたコーヒーを嬉しそうに飲む姿はとても幸せだった。
父も「しゃーないなぁ。」と言いながら嬉しそうに母にコーヒーを淹れていた。
そして今は、夫が私に「ほら、コーヒーはいったよ。」と淹れてくれる。
私はそれをただニコニコして飲むだけ「あー美味しい。」と言って。
家事をしない日も、ごろごろしている日も、夫が忙しそうにしている日も、私はただ「コーヒー淹れて(^▽^)」と言って、夫も「しゃーないなぁ。」と言いながら、何だかんだ嬉しそうに淹れてくれる。
「たまにはあんたが淹れなさいよ。」と言われて、私が淹れるときもあれば「えー淹れてもらったコーヒーが飲みたい♪」と言うと、また「しゃーないなぁ。」と淹れてくれたりする。
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