第二の人生が死語になる
私が小さいころ、定年を過ぎたら第二の人生では違うことをしたい、や新しいことを始めたい。というきっかけの年齢だった気がする。
私の親はその感覚が残っているギリギリで、定年を迎えたら、とやりたいことを見つけ、着々と準備を進め、大きな投資をした。
母は今までなかなかやりたいことが出来なかった人生らしい。
学校も、大学での研究も、結婚してからの住む場所も、趣味を謳歌する時間もない人生だったと聞かされたことがある。
たまに口から漏れる母からの後悔の言葉は、娘ながらなんだか悲しい思いをしたのを覚えている。
こちらから見てると、なかなか多趣味で行動力のある母だと思っていたのに、やりたいことは別のところにあったようで。
そんな母が3年後の定年を見据えて始めたプロジェクト。私は私なりに応援して、アドバイスして、支えようと思っている。
色々試行錯誤して、娘たちにアドバイスを求めてくる母が可愛らしいし、応援したくなる。
そして何かに夢中になっている母を見ているのはこっちも嬉しい。
これまた凄いのは父の協力体制。
母より先に定年を迎える父の口からは後悔や不満を聞いたほば記憶がない。全くないかも。
趣味のように没頭している仕事。口数は多くないけど、誰よりも応援してくれてる父。
それは娘たちだけではなくて、母へも同じ。
今回、母が始めたプロジェクトは父なしでは進められなかったといっても過言ではなくて、母の人生での1番のラッキーポイントは父と結婚できたことなのかもしれない。と思う。
そんな父も第二の人生でやりたいことがあるらしい。父の場合は仕事の延長のようなことだった。本当に好きなことなんだなーと感じる。
両親ともに、定職についてから、転職の経験はない。いわゆる終身雇用のシステムのまま。私はすでに3社目。この時点で両親たちの生き方とは大きく異なる。
そして、両親たちをみていて、自分には第二の人生というものはなく、何もかもが並行して進んでいくように思える。
それは、仕事をしている時間と、母をしてある時間と、夫婦としている時間と、友達といるときの1人の女性としている時間、そして自分1人でいるときの、自分としている時間。
これらが全て一緒に動いている。
特に仕事と、母と、自分を一緒に行うのはなかなか忙しい。
自分の時間がほぼない母としての時間に加え、仕事の時間が起きているときの大半を占める。
私の両親も共働きだったので、似たような生活なのかもしれないが、小さいときは、いまの私が娘と過ごす時間よりも、多くの時間を過ごしていてくれたように思う。
色々なことを同時に進めることが求められているいまの時代、もう第二の人生とかではなく、二本目の人生、三本目の人生、四本目の人生として、○○としての自分、が増えていく。
自分だけで始まった一本目の人生を生きながら、仕事をして、家族をもって、母となって。次々に人生の種類が増えてくる。
この本数の数が自分の幅だし、長さがその人生の質。
積み重ねではなく、掛け算。
積み重ねで良し悪し判断されていた時代は終わり、その長さの質と、深さが重要。
自分らしさを追求する、追求できるからこそ、大変で、また自由で責任を伴う。
QOLは人によって違う。
私の両親は今まで続けてきた仕事が時間と同時に終わりを迎え、そしてまた自分たちで生きていく準備をしている。
それは祖父母の時代とはまた異なり、新しいもの。時代が変わるにつれ、第二の人生というものは消滅していくのだと思う。
※今日は友人の結婚式で新幹線に乗っているのでのんびり、ゆっくりとnoteが書けたYO!!
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