断想

意見が変わることもある。私は自分の考えを少しずつ疑い続けている。

愛が問われるようになったときに、愛について問うたらいい。

恋心に蓋をする覚悟、未知の自分を受け入れ楽しむ覚悟。

私の会話の楽しさは、質問できることと相手の意見を聞けることと自分の意見を言えることが前提にある。そのうえで、同じ景色を見れる人と会話するのが楽しい。

SNSへの不器用さが、じわじわと現実に不具合を生じさせている。

本当にやりたいことをやっていかないと、特にやりたくないことが勝手に舞い込んでくる。その前に。

早いうちに切り捨てていったものの中に答えがあったりする。

``自分‘‘は部屋の中を整理するみたいにできていくような気がした。
ごちゃごちゃした部屋もいいが、私はある程度シンプルな部屋に住みたい。

私について。私は頭の中がごちゃごちゃな時に話してはいけない。部屋の中がごちゃごちゃな時に人を入れたくないように。

自分が発した言葉には責任がある。私が話した言葉を誰に伝えようと、構わない。ただ、言葉は時々間違えるもの。そのたびに、訂正できる人でありたい。

人間関係は、ダンディーなおじさんになったつもりで。
それでも、好きな人の前では自分を見失うのが常だ。その度にダンディーなおじさんに戻れ。

まだ、自分の中で何が正しいのか疑っている。だから、間違えて間違えて、私の正解がどれだったのか、私の正義がどれだったのか、見つけなければならない。その為には、前ばかり見ていけはいけない。前向きになるために、後ろを見る必要がある。

Fさんの『二十代で得た知見』を読んで。
p52、「27 それを判断する基準」
ここには私が忘れていたことが書いてあった。
自分の子供に話せるのかどうかだ。

なんかいろいろ忘れてるような気がするとき、本当に色々忘れてるので、保育園のころから片っ端に思い出してみよう。

人間関係において、私は思う以上に綱を握っていたりする。だから綱を引っ張っていていい。

これだけ考えておきながら言うのも矛盾していそうだが、考え過ぎなくていい。私が考えすぎる時は、たいてい心が動いてしまった時。そんな時は冷静に。

できないことや悔しいことがあったとき、それにしがみつくかどうかは真剣に考えた方がいい。時には、できないことや悔しいことは考えなくてもいいことがある。人生に無駄にしていい時間は無い。

私がこうやって書いてるのは、これまでの人生の振り返りの意味がある。
なんて思ってたけど、自分探しかもね。

真面目なんて言葉を忘れるくらい、自分に真面目でいい。

勇気は、自分の正義のために使いたい。

歌を言葉だと思わず、音のまま歌うことの楽しさがある。
深い意味のある歌詞もいいが、意味のない歌詞も好きだ。

生きる活動(生活)をしていく。

めんどくさいことはテキトーに。

大きな目標のもとに、小さな目標を立てる。
経験上、目標が無いと不安定になってしまう。


(更新 2022/05/17)

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