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創部8年で、多摩大を大学日本一に導いた・福角 有紘監督インタビュー

――大学日本一、おめでとうございます。
福角監督「なんか、正直、あ~疲れたって感じでしたね。嬉しかったんですけどね。くたびれましたね。意外にね。意外になんか、イメージは抱き合ってとかしたかったんですけど、力尽きたっという感じでした」

――8年という期間は短かった? 時間がかかった?
福角監督「一般的には、大学が一つの部活を創部して、専門的な競技で日本一になるというのが8年というのは驚異的な短さだと思うんです。駅伝の青学の原さんも就任してから10年くらいかかっていますし・・・。もともと部活もありましたし・・・。ただ、僕にとっては、すごく長かったですね」

――多摩キャンパスの立派なアリーナの写真があるのですが・・・。スタンドは片側ですか?
福角監督「片側にあって、すごくいいですよ」

――多摩大の環境について教えてください。ロッカールームや、トレーニング器具、シャワーなど・・・。
福角監督「アリーナがあって、そこは専用で使えるんですよ。多摩大は部活がフットサル部しかない。そもそも大学25年目で初めて部活がつくられて、その時に「何をつくろう?」となった。

アリーナが全く有効活用されていなくて、何かをやれないかとなった。そんなに大きな大学ではないし、少人数で決断力が求められるスポーツはうちにあっているのではないかということで、フットサルに目をつけられたんです。

部室はなくて、倉庫で着替えています。そもそもスポーツに力を入れるような大学ではなかったので・・・。シャワーはあります」

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――フィジカルトレーニングでブルートゥースを使って心拍を図ったり、近代的な取り組みもされているようですが?
福角監督「フィジカルトレーナーで最初に来てくれた人が、そういう取り組みをしてくれました。

練習中に心拍計を付けて、1週間、みんなが練習でどれだけ心拍数が上がったか。どれだけ走ったか。トレーニングマッチなどで測っています。

それで、回復能力をどうつくっていくか。試合の交代のタイミングをどうするか。iPadにそのまま(生データが)送られてくるから、誰が回復しているか、すぐわかるんです。それを見ながら(試合を)やったりしていました。面白かったですよ」

――福角監督は、日本のトップリーグでも選手として活躍されましたが、例えばバルドラール浦安ではそのような取り組みはありましたか?
福角監督「ありませんでした。うち(多摩大)が一番早くやったかもしれません。

(トレーナーの方が)サッカーの人だったので、サッカーのヨーロッパだと当たり前につけていたりするので、フットサルでもそういう取り組みをしようとしてやりました。

今は、トレーナーも変わりましたし、デメリットとしては選手の意識がそっち(数値)に行くんです。いくら走ったとか・・・。

そこにフットサルの質は出ないので・・・。走行距離が出ますが、試合のどの場面で、どういうスプリントが必要か、とかは出ない。

あとは専門的に(継続して)見れる人が横についてくれていたらもっと良かったのですが、フィジカルトレーナーの方も週に1回とかだったので、自分のやることも増える。学生に任せても、それだけ能力の高い子がいるかといえば、いなかった。

面白い取り組みだったけど、自分たちのスタッフを考えると、あまり容量を増やしても行けなかったと思います。

――多摩大フットサル部では『自主性』を重んじると聞きましたが、それは、監督就任当初から、同じような指導をされていたのでしょうか?
福角監督「就任当初はそうではありませんでした。結構僕も引っ張っていくような、先頭に立ってついて来いという形でしたので。それはそれで良かったんです。

創部4年目で初めて全国大会に出れて、その時に3位まで行けました。でも、優勝はできなかった。

その当時、大学で言えば、順天堂大ガジルがインカレを3連覇していて、今も強いんですが・・・。

彼らを見たときに、彼らは指導者がいないんです。監督がいない。自分たちで考えてフットサルをつくり、日本一になっていった。すごいなと思った。

彼らを見ていると、監督がいないから、自分たちでやるから、主体性がある。自主性がある。大学フットサルで日本一をとるときに、あの子たちを超えないと無理だと思ったときに、自分の今のやり方は違うなと思ったんです。

指導者が引っ張ってああだこうだとやるチームは、日本一が取れないと思いました。行けても全国3位だと思ったんです。

そこから選手が主になってチームをつくるにはどうしたらいいかなと、そういうことをどんどん考えるようになっていきました。

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でも、順天堂に勝つには、指導者という僕の存在が強みになって欲しい。主体性のある学生のなかに、専門性のある指導者がいる。それが彼らを超えるポイントなのかなと思いましたし、そういうチームが日本一になると思いました。

単純に指導者を置いて、日本一を獲れるかというと、そんなに甘くなかった。自分もそこで考えを変えて、練習も学生たちに任せた。

今までは先頭を走っていましたが、(途中から学生たちの)中に入っていき、今は後ろを走っている感じです。

指導者はコーチングで導きますが、最初は決断を自分がした。次は一緒にやって、同じ立ち位置でやった。だから(年月としては)半々くらいですね。でも、優勝した年というのは、ほぼほぼ(自分は学生たちの)後ろにいた。

それぞれが主となり、やることが明確となり、僕の指導もプレーモデルも成熟してきて、いい形ではまって来たのが8年目でした。

トップダウン、ボトムアップというのは、方法論としてあると思いますし、どちらも必要だと思います。

ただ、個人個人へのアプローチの仕方は変わってくるので、そこは関西人独特の"直感"でやっていきました。失敗もしまくりましたけどね・・・。

(最初は学生たちを)引っ張っていくなかで、一緒になって考えてやって、最後は自分たちが考えてやる。自主自立に繋がって行けば良いかなと思いました。

例えばFリーグのクラブではなく、大学と考えたとき、彼らが成長して社会に出る時にどう成長して、どういう人材になるかがキーワードだと思ったんです。

単純にフットサルが強いではなく、一人ひとりが自立する。そこにフットサルを使う。目標が日本一と高い目標であれば高いほど、達成した時の経験が活きるのかなと思いました。

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――自主性に任せた指導法に転換して、逆に出てきた問題点はあったりしますか?
 今、僕にあるのは、練習を学生が考えてきているので、僕が練習できなくなっているさみしさですね。すごくやりたい日がある。(笑)

練習に入っても、円陣も入らないし、選手の流れを片隅で見て、気になるところがあれば、話もしますが、基本的にはみんな(学生たちが)がやる。だから、もう、"おじいちゃん"みたいな感じですよ。(笑)


――『自主性を重んじ指導』をしてみたいと思う監督も出てくると思いますが、何か先回りしてアドバイスできることはありますか?
福角監督「うまくいかないと思ってやった方がいいです。

理想通りには絶対に回りません。主体性って理想じゃないですか。学生たちが決めてやるって。でもそんなにうまくいかない。うまくいく日もあるし、そうじゃない日もある。だから、そういうスタンスでいた方がいい。

フットサルは決断が多いスポーツです。

練習から決断を多くすることで、意見が言いやすかったり、提案をしてくるようになる。自分で考えないと意見交換をしないといけない状況を作り出す。

でも、指導者として僕が居るから、何かあったら聞けるし、方向性が違っていたら修正できる。

最初からうまくいかないと思った方がいいし、方法はそれぞれでいいと思います。そこにいる選手は、うちとは違うし、その子たちにあったやり方を見つけていくのがいいと思います。何年もかけて、になりますが。(笑)」

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――フットサルの戦術の話もさせてください。「難しいことはしていない」というお話も聞いたのですが、多摩大のコンセプトは?
福角監督「シンプルにやっています。攻撃なら3-1システムからのピヴォ当て攻撃。守備ならマンツーマンのプレス。本当にシンプルで単純なことをやっています」

――ディフェンスは前線、相手コートからプレスに行く?

福角監督「そうです。でもそれも初年度からいろいろなことをやって、たどり着いてそうなりました。

僕らの目標はずっと変わらず、夏のインカレ優勝で、そこが頂点なので。夏のインカレは3日間で5試合を戦うレギュレーションです。

でも、去年は急にレギュレーションが変わり、トーナメントになって3試合になりました。

僕らは5試合戦える体力をつくっていた。3日間戦って、最後が決勝戦。そうなった時、複雑なシステムアタックを準備したり、クアトロとかで決断が多い攻撃をやると、最終日に頭も体も両方とも疲労感が残るんです。

フィジカルをやっているから、肉体疲労はなんとかなっても、頭は疲れてくる。そうなるとミスが出やすい。

なので、3日間戦い抜けるよりは、シンプルなフットサルを考えて、そこから逆算していく。

僕の中では、センターレインでプレーできるピヴォとフィクソとゴレイロ。その縦軸を大事にしていて、そこをしっかり揃えていけば、勝利の確率は上がっていくと思っていました。

3-1攻撃ならピヴォを使って前進するか、もしくはピヴォがつくったスペースを使って前進して、フィニッシュに行くか。

一つのシステムの流れ、3-1の初期配置から、攻撃がオープニングされて、崩してフィニッシュまでという一つの流れがある。

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パターンのような、その一つのパターンをまずは教えて、流れのなかで必要な戦術、ピヴォ当てや、スペースを使うワンツーだったり、パラレラだったり・・・。それを徹底的にやる。

まずは、一つの形をしっかりと身に着けていく。そこから派生させる。

それも、考えずにやれるような、呼吸するように、沁み込ませる。

要するに頭をそんなに疲れさせたくないんです。そして最終のゾーン3(相手ゴール前)で、余裕のある状況をつくり出したい。

いろいろな作業をして、相手ゴール前までたどり着いた時に、疲れている状況だったり、フィニッシュの質が落ちるのは最悪だと思います。

でも、フィニッシュの質を下げないためにはどうすればいいか、ゴールを奪うためにはどうすればいいかを考えて、そこから逆算して攻撃を組み立てていけば、3-1攻撃はすごく有効なのかなと思いました。もちろんオプションで4-0もあるので、全然(4-0の)準備はしますよ」

――4年間の成長について、入れ替わりやサイクルがありますが、どうチームをつくっていますか?(※参加者からの質問)

福角監督「今言ったフットサルの基礎的なことがあるのと、『オフ・ザ・ピッチ日本一』という言葉があります。

人間形成ではないですが、人としての基本。そこにもアプローチしています。(そこを)1年生の時から積み重ねていくことで、1年、2年、3年、4年となった時に成長がみられる。

同じことをずっとやっている感じです。大学1年生なら、サッカー部からフットサルを始め、最初はパラレラ、『何それ?』から始まる。

それが2年生、3年生になると、わかって(自分たちで)やりだす。

3ー1攻撃のシステムがあり、初期配置がある。

サッカーから来た子は最初はわからないけど、やりこんでいく。自分たちで考えて自分たちで話すから、理解していく。そうなると人前で話す技術もつく。

ワンツーも、パラレラも、1年、2年、3年で同じことをやって質も上がっていく。『オフ・ザ・ピッチ』は基本的な時間を守ろうとか、礼儀正しくとか、身だしなみ気を付けようとか、そういうところです」

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――「おしゃれであれ」と言われているそうですね?
福角監督「それは初年度とかに、寝ぐせのまま朝練にきていたから、せめて身だしなみを整えて、練習に来ようと。2つのアプローチがあって、4年間かけていったら、面白いことに、逆転が起こる。入学時に技術の高い子がいる。もう一人の子は技術的にはそうでもない。でも、4年の時には逆転することがある。その"違い"が何かというと、やっぱり、『オフ・ザ・ピッチ』のところだなっていうのがあります」

――『オフ・ザ・ピッチ日本一』は何年目からのコンセプトなのでしょうか?

福角監督「初年度、創部した年に、目標は大学日本一だったんです。でも、初年度のメンバーは絶対無理だった。本当に勝てなかったんです。だから、せめて『オフ・ザ・ピッチ』のところだけでも、日本一を取ろうという話をした。最初はそういう軽い感じでした。

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