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どこよりも速い、フットサルトップリーグ監督インタビュー。B北九州・馬場 源徳編<前編>

2019年、F2リーグ準優勝で、フットサルのトップリーグ『F1』昇格を果たした、ボルクバレット北九州の馬場 源徳氏にインタビューをさせていただきました。

「家にテレビは無かった」「好奇心旺盛で外を探索するのが趣味だった」子ども時代

子どもの時は、特殊だと思いますが、遊び道具を与えられなくて、好奇心が強い性格でした。父がアウトドアが好きだったこともあって、常に自然のある場所、お寺や工場などを歩くとか、探索するのが遊びになってました。ゲームなどは買ってもらえませんでした。8才上に兄が居て、父親代わりのような存在でした。

空手、習字、サッカーを多少していた記憶があります。サッカーは大好きで雨の日でも友だちとずっとボールを蹴っていた記憶があります。学校スポーツの中だったので、教えてもらったということは無く、自分たちで校庭を使って勝手に遊んでいたという感覚です。

勉強は好きで、数学、特に方程式や図形が好きでした。中学生以降は、やらされてでなく、自分でやるのが好きでした。

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父は仕事の関係で、アメリカとフランスとデンマークに住んでいました。ちょっと『変わり者』で、長い時間かけて船で海外に出たりしていました。そんな父から刺激・影響を受けた部分はあると思います。

家にはテレビがなく、ドラマを見たり、歌謡曲を聞くことはなかったです。外食も一度もなかったです。15歳になるくらいまで『ファミレス』もゼロです。(笑) そういうのは徹底されていました。新品の服を買ってもらうこともなく、兄のおさがりで、散髪もバリカンで、今思えば、それは感謝することばかりです。

言っていいのかわかりませんが、6才くらいの時に、駄菓子屋からガムをくすねたら、3日間くらい家の中で寝させてもらえず、玄関の石の下で寝させられました。それは完全にトラウマですね。

褒められたことは、母が教育者で、寝る時の天井に、漢文や詩を書いていて。あるとき、授業で古文の詩の朗読があったときに、ボクがすでに覚えていたことに先生が感動して親に連絡したようで、すごく親が喜んでくれましたね。

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アルゼンチンで遊びとしての『フットサル』、スペインで競技としての『フットサル』に出会う

ずっとサッカーが好きで、トヨタカップで通訳をしたりもしていました。それからもサッカーに関わる仕事がしたくて、大学もアルゼンチンに行ったときに、毎日サッカーをできるチームを探しました。

そのアルゼンチンで、『サッカー』のオフの時に蹴るのが『フットサル』だった。その時に僕は初めて『フットサル』と出会いました。日本では全く知らなくて、やったこともなかったです。『パラレラ』とか言葉も全くしらなかったですし・・・。

フットサルコートがたくさんあって、チームメイトと「4対4やろう」となって、そこで足裏を使うことや、2人のコンビネーションをやっていく。そういうミニゲーム、遊びの中の1つとして『フットサル』と出会いました。

アルゼンチンからスペインに引っ越して、バルセロナに住む前に、隣町の『GAVA』という街でチームを探していた時、スペイン3部のフットサルクラブがあり、綺麗な体育館からボールを蹴る音が聞こえていました。

そこでレベルも何も知らず『ちょっと行ってみよう』という気持ちになって、監督(ミゲル・ガゴ・サンチェス)に『練習をさせて欲しい』と(いきなり失礼ですけど)お願いしたんです。

そこで練習参加させてもらったことが衝撃で、『全てができなかった』んですね。本当に。

それでも監督もチームメイトもみんな優しく、練習も最後まで入れてもらって。「馬場、あそこじゃない、ここだ、こうだ」と毎日、(動きなんかを)教えてもらって。

『フットサルは全く違う競技だ』と感じたのと、スペイン人の優しさに触れた一番最初の出来事でした。

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その時の練習の流れは、メモを取っていなかったですけれども、今でも覚えていますよ。

体育館にひとりずつ人が入って来る。アップして、1人だったらドリブルをするんですね。で、2人だったら『1対1』して、3人だったら『2対1』。4人だったら『3対1』のロンドになって、5人になったら『4対1』にしょうとか。彼らの中にルーティンがあって。

そこから色んなメニュー、それこそサッカーでは考えられないようなメニューがあったんですけど、良く覚えています。『ハーフコートを越えたら、逆サイドに攻める』とか。

パワープレーの練習も始まって、何もわからず、角に入れられて。その時も「何故、君はあそこで動き回る必要があるの?」と言われて。「相手が何人か考えて。4人でしょ?こっちは5人でしょ?数的有利ならそんなに動かなくてもパスライン探せばよいでしょ?」という今となっては『当たり前の会話』を、僕に最初にしてくれたのがスペイン人だったんです。

こんな話をしていけば、めっちゃ長くなりますけど。(笑)

これが『サッカー』でなく『フットサル』をしようと思ったキッカケです。

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選手としては『上に行けない』のはすぐわかった。『スポーツとしては面白い』ので指導者になりたいと「ピンときた」

最初の1週間で『選手になれない』というのは明らかになりました。サッカーでは走りやテクニックでごまかせましたが、フットサルは接近戦で、自分の力量もすぐにわかると思います。

なので『上のレベルには行けない』『手遅れだ』というのはすぐにわかりました。今の日本人選手にも思いますが、通用するには『大きな壁』があると思いますよ。簡単では無いと思います。(プレー)コンセプトもそうですし、コミュニケーション能力、文化、フィジカル、技術・・・。彼らは子どもの頃から培っているモノなので。

選手としては難しくても『スポーツとしては面白い!』ので、指導者とか、理解する側に回ろうと思いました。普通の人生なら『この仕事だ!』とかピンとこないと思いますが、その時、『ピンときた』んですよ。

スペインと日本のフットサルの違いは『文化と熱量』

スペインと日本のフットサルの違いは、簡単にして一番深い話をすれば『文化』じゃないでしょうか。

あまりにも違い過ぎて比べれないと思います。あらゆることが違うから、まとめると『文化と熱量』という言葉になってしまうと思います。

例えばスペイン人の子どもは10歳になるまでインドアコートや石のコートで、『フットサルシューズ』で『フットサルボール』を蹴ったことがあるんですよ。

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