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神戸弘陵で2度の全国出場も、フットサルの"ゴレイロ"は「ゼロからのスタートとなった」。シュライカー大阪・鈴木 雄大

これまでのシュライカー大阪の選手インタビュー記事はこちらにまとめてます。

高校サッカーでは、神戸弘陵で2度の全国出場へ

兵庫県三木市出身。高校は神戸弘陵(学園高等学校)で、2年の冬と3年の夏、2度、全国大会に出場。

ポジションはずっとキーパー。本格的にやり出したのは小学生5・6年生。「監督からしたら向いていたのか?よくわからない」が、6年生を前に、色んなキーパー候補生が居た(入れ替わる)中で、鈴木自身は常にキーパーのポジションを任されていたという。

血液型はO型。プレーも何事も「楽しんでするのが好き」。ただ「スイッチが入ると短気なところも」あり、「治さないといけない」という。

好きな食べ物は「すし」で、若いメンバーで一緒に食べに行くことも。嫌いな食べ物は「今まで全くなかったが、パクチーだけは・・・」ダメなよう。

趣味はサッカー・フットサル以外に「続いたことが無い」という。オフは、たまにお酒を飲んだり。漫画は好きで、おすすめは「DAYSというサッカー漫画。昔から好きだったのはドラゴンボール」。好きな映画は『カイジ』『ターミネーター』『ワイルドスピード』など。

好きな言葉は、小学生のチーム名が『セリオ』。ポルトガル語で『一生懸命』という意味で、それをずっとモットーにしている。

子どもの頃は、公園や裏山で、ボールを蹴ったり、木登り、秘密基地をつくったり、野球をしたり、鬼ごっこ、かくれんぼ、色んな外遊びをしていたという。

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子どもの頃の夢は「サッカー選手」。しかし大学進学の際、身長問題に突き当たる

子どものころの夢は「サッカー選手」。

しかし、高校生の時に、「キーパーには身長がつきもので・・・」「高校2年から伸びてなくて」と、身長問題に突き当たる。大学進学で、スポーツ推薦で行こうとしたとき、関西の学生リーグの1部のようなチームは「小さなキーパーを取るよりは、大きな選手を取って、4年間かけて育てる方が良い」と言われ、セレクションではなく、一般入試を勧められたという。

「今までずっとサッカーをしてきたにも関わらず、勉強して大学に入るなら、普通の学生生活をやってみては?」という話を父親ともして、勉強して、大学に進学。「サッカーは高校で一区切り」。サークルには入ったが『一線』『競技』からは、引いた感覚で居た。

個人賞を取って、明確な目標を見失い、ライバルに追い越された高校時代

高校サッカー時代は、同じ学年にライバルが居た。

1年生の時は鈴木が正キーパーで冬の選手権に出て、県大会の決勝で敗れた。次の新人戦からはライバルが正キーパーに。プリンスリーグ前にそのライバルがケガをし、鈴木と3年生のキーパーが正キーパーを争うことに。

夏のインターハイ、冬の高校選手権は鈴木が正キーパー。2年生の冬には全国大会へ。

新人戦は再びケガから復帰したライバルと交互で出るような形に。その時、決勝戦でPKを止めた活躍などもあり、鈴木は県の優秀選手賞をもらう。

「今まで弱小のチームでやってきたので、ちょっと満足してしまった」「気持ちが切れた時に思い切り、追い抜かれた」と、鈴木は当時を振り返る。

3年生の夏、チームは再び全国大会出場を果たすが、鈴木に出場機会は無かった。

「今までは自分が弱いチーム出身だったので、頑張らなければ」「全国に出たい」という気持ちが強かった。2年生で全国大会出場を果たし、3年生では「個人タイトルを取りたい」という目標を掲げてすぐの新人戦で「すぐ取れてしまった」ことで、「やんわりと、もう一度全国に出たいという気持ちはあった」「うまくなりたい気持ちは常にあった」が、「たぶん、もう一人の方が悔しい思いをしていた」部分で、鈴木の気持ち、モチベーションを上回ったようだ。

ちょうど、身長の問題で『プロ』が見えなくなっていた頃でもあった。

「抜かれると悔しくてもう一度頑張った」鈴木は、再び、正キーパーを勝ち取った試合もあったが、すぐに体育祭の騎馬戦で負傷。それもあって、高校サッカーを引退。大学受験にシフトしていくことになる。

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大学ではサークルでサッカーを継続。スペイン遠征で、鈴木 磨人と出会う

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