体力

・note、リンク貼ったらサムネ入れてくれる時とくれないとかあって使い方よくわからん。入れてくれよ。あと昨日は打とうとしたら文字入力画面のところになぜかクレカ情報入力画面がずっと出てきて文字が全く打てなかった。説明がむずいけど。今日は全然ならない。

・今日はひとつ用事を終えて次の用事に向かう途中でやる気を喪失して、踵を返して帰ってふて寝してしまった。

・暑いのがいけない。今日なんて電車とバスで動いたからそんなに日差しの下を歩いてないはずなのに、駅のホームだのバスの待ち時間だのすら信じられんくらい暑くてうんざりした。

・体力って精神に直結するな。しんどいと落ち込みやすくなるしイライラもする。身体を鍛えるか整えるかとにかくなんかどうにかしないといけないと思う。暑すぎるのもあるけど、私は本当に体力がない。

・風邪とかコロナとかインフルとか全然かからないから免疫力は謎にあるんだけどな、たぶん。それと体力はまた別の話のようだ。

・最寄駅で合気道道場を発見したので通ってみようかと思ったけど、練習動画見て「めんどうだぁ」と思ってやる気喪失してしまった。今は暑そうだし。。体力がないゆえに気力もなくて、体力つけるための行動に結びつかない負のスパイラルに陥っている。体力つけるための体力が欲しい。服買いに行く服がないみたいな話だ。服は今やネットで買えるのに、なぜ体力は売ってないのだ。

・身体、邪魔だな〜という感覚がどうしても拭えない。これがないと生きられないし五体満足なのに贅沢言うなとも思うのだが、こういう身に染み付いた感覚ってそうそう覆せない。頭で考えてそう思うわけじゃなくて、感覚だからな。。思念だけで在りたいとどうしても思ってしまう。

・まずは家でできる小さなことから始めようか。ストレッチとか。

・服買いに行く服がないってので思い出したけど。中1の時、友達と遊びに行くっていったらショッピングしかなくて、しかし制服があるからそこで買う服を着るのはショッピングに行く時だけって状況にある時ふと気づいて、「アホくさ…」って急に冷めた瞬間があった。服を買いに行くために服を買い、その服を着てまた服を買いに行く。なんだこれ、っていう。

・しかし田舎ゆえ他にすることもないのでとりあえず友人につんだって服屋に行っていたが、みんなが楽しそうに服を物色する様子を眺めては虚無だな〜とぼんやり思っていた。当時の私は彼女たちの楽しい気持ちに水を挿してはいけないと思って黙っていた。私にそんな気遣いが備わっていたことが不思議だ。。今の私はそういうことをつい口に出してしまうので。中学の時の方が人間できてたのでは???

・カラオケボックスがはやるようになってからは選択肢が服屋オンリーということもなくなったし、恋愛うんぬんにうつつを抜かすようになれば「異性により自分をよく見せる装飾を物色する」という意味が見えてきたのでそういう虚無感はだんだん消失したけど。でも当時感じたこの虚無感は、私のファッションへの興味のなさに原体験として結構影響してる気がする。

・しかし改めて自分でも呆れるくらいひねくれた思考してるな。なろうとしてなったわけじゃないんだけど。。こういうのは遺伝なんだろうか。もっと素直に大通りを闊歩する人間でありたかったんだけどな。どうしてこうなった???


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?