・母親がいなくなったらどうしようって途方に暮れることが昔よりさらに多くなった。その日は確実に近付いているから当然といえば当然かもしれない。

・現状ピンピンしてる母にこんな考えは縁起でもないことだが、それでも必ず訪れることだ。私が何を考えようとなかろうと、人は死ぬ。いつか死ぬ。あたりまえに死ぬ。

・私が生きる理由、母親以外に思い浮かばない。父親が死んだ15からずっと。毒親とかそういうんじゃなくて、ただ単に自分自身がからっぽだというだけだ。母親はかなり自由に育ててくれたと思う。未来に羽ばたくようにと舞なんて名前まで授けて。それはそれは自由にさせてくれた。

・なのに私は、ちっとも舞っていない。羽ばたいたとしても無気力で、すぐ巣に逃げ帰ってしまう。自分が何か成したいとか、何者になりたいとか、そういうのが全然ない。自分のために生きるってどういうことかわからない。誰かのためにしか生きる意味が見出せない。それって自分のすべてを母親のせいにする卑劣な態度だとわかってはいるのだが、どうしても見つけられないのだ。自分が生きる意味を。

・でもみんな、そうなんじゃないか?という気も
する。当たり前に親がいて、兄弟がいて、配偶者がいて、子供がいて、繋がる人がいる状況だと考えないだけで、人が生きる意味ってほとんど誰かのためなんじゃないだろうか。

・私はたまたま15で家族という糸がたった一本になってしまったから、それがどうしようもなく太くなって、ことさらに意識してしまうだけなのかもしれない。失うことが怖くて、失うリアリティも知っていて、だからこのたった一本の糸が切れることを平均以上に恐れている。そして他にも糸を求めて、でもちっとも見つからなくて、だったら自分のために生きようとしてみたけど、あれ?なんにもないぞって思っただけなのかもしれない。他の人にはなれないから知らないけど。みんななんのために生きているの?

・持ってる人は忙しい。意味なんて考える暇も必要もないくらい。私はたぶん暇なのだ。時間もいのちも持て余している。仕事で埋めているだけで、ちょっとタスクの供給が緩むとすぐ生産性のないことをうじうじ考える。

・意味とかどうでもいいから、自分なんてなくたっていいから、先のことなんて考えずに毎日楽しく暮らしたいな。どうしたらいいのかよくわからないけど。

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