縁側

・体調がすこぶる悪い。

・生理はもう終わりかけなのにとにかくだるい。かつてないほど全身の倦怠感が取れない。気候に負けてる気もするが、加齢によるものなのかもしれない。イベント疲れかねって言われるけど、もう2週間近く経ってるしだとしたらポンコツすぎだろ。

・正直ストレスもある気がする。なんとなく不安感が取れない。不安な要素は大きいものから小さいものまでたくさんある。自分は何より変化が苦手なのに、ここ1年あまりにも変化が多すぎた。

・自分は何も変わっていないのに、周りがどんどん変わっていってる。そのことがじわじわと心体を蝕んでいるように感じる。

・何も変わらないなんて無理なのに。自分だって何もしなくたってどんどん変わっている。衰えの方向に。どんどんというよりしおしお。

・小学生の頃から縁側で茶を飲むばばあに憧れている私だが、現実の老化はそんなほのぼのしたものではないな。そこに至るまでにさまざまな葛藤や苦しみがある。今はその過渡期だ。身体の衰えに心がついてこない。

・縁側ばばあへの道は険しい。そもそも縁側があるような家に住むこと自体、今の私にはなかなかのハードルではないか。漠然と憧れるのではなく、目標設定してマイルストーンを立てるような視点が必要なのでは…?結果にコミットしなければ(?)

・そういうんじゃないんだよな。夢は夢のままでいいか。

・そういや夕方寝落ちしてたらスーパーに住んでる夢見た。生家近くのローカルスーパー「サンフレッシュ」に。時々出てくるんだよな、サンフレッシュ。

・「わーいっぱいなすびがあるじゃん〜!!焼き茄子にしよ〜」と喜んだら値札がついてて、なんだこれは売り物か…とがっかりする夢。どれが売り物かちゃんと棚わけとかないとな〜とか考えていた。店内にキッチンがあって、一部は自分の棚という設定らしい。めちゃくちゃすぎる。

・サンフレッシュどうなってんだろと思ってGoogleマップ見たら、変な布団屋になっていた。しかもそれも 2年前に16年の歴史に幕を閉じたらしい。てことはサンフレッシュは少なくとも18年前にはなくなっていたのか。

・離れているとこんなものである。もう生家を離れて23年経つのでそりゃあそうか。とはいえその間にちょくちょく実家には帰っていたはずなのに、布団屋になってることにも気付かなかった。サンフレッシュに関心なかったから。

・歳をとるほど幼少期の物事に執着してしまうのはなぜなのか。若い頃は世界が広がっていくばかりで、当たり前にあるものに気が向かない。失うものより得るものが圧倒的に多いから。だが世界が収縮するフェーズに入ると、自分の断片を必死でかき集め始める。まだ残っているものはないのか。私の思い出は、私の価値は、私のかけらは、どこかに残っていないのか。勝手なものである。

・おそるおそるGoogleマップで10年前に売りに出した生家を訪ねると、ほとんど変わらないまま残っていた。2台分の車庫と2台分の駐車スペースがあるのに、それらはガラ空きでなぜか庭の中に軽自動車を突っ込んでいる。現住人とおぼしき若い女性がモザイク顔で運転席に映り込んでいた。

・なかなか斬新な使い方しとるなと思いつつも、生家が綺麗に手入れされて大切に住まれわれているのはありがたいことである。当時ですら、売れないまま廃墟と化した家が近所にかなりあったので。

・でももう見るのはやめよう。失った時は戻らない。あの頃の私たちは、私たち家族は、もうどこにもいない。あの家は、もう私たちのものではない。そんなことは、思い出さない方がいい。蓋をしよう。変に開けると、さみしさに足を掴まれて溺れてしまう。目の前のことだけに向き合っていよう。

・縁側ばばあになる頃には、美しい思い出として振り返れるようになるのだろうか。湯呑みのぬくもりを手に感じながら、穏やかな気持ちで微笑むことができるのだろうか。それとももう、何も思い出せなくなってるかな。

・その方がいいかも。こんなに胸がぎゅっとなるくらいなら、何もかも忘れて、わけわかんなくなりたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?