あまつのりと

天津祝詞あまつのりと

 高天原たかあまはらに神留坐かみつまります、神魯岐かむろぎ神魯美かむろみの命みこと以もちて、皇御祖すめみおや神かむ伊邪那岐いざなぎの命みこと、筑紫つくしの日向ひむかの橘たちばなの小戸をどの阿波岐あはぎ原はらに、御禊みそぎ祓はらひ給たまふ時ときに生坐なりませる祓戸はらひどの大神おほかみ達たち、諸々もろもろの枉事まがこと罪つみ穢けがれを払はらひ賜たまへ清きよめ賜たまへと申まをす事ことの由よしを、天津あまつ神かみ国津くにつ神かみ八百万やほよろづの神達共かみたちともに、天あめの斑駒ふちこまの耳振立みみふりたてて聞食きこしめせと恐かしこみ恐かしこみも申まをす。

△高天原たかあまはら 全大ぜんだい宇宙うちゅう。
△神かみつまります 陰陽いんやう二元にげんが実相じつさう充実じうじつした上うへにも充実じうじつすること。
△神魯岐かむろぎ神魯美かむろみ 陰陽いんやう二系にけいを司つかさどる神々かみがみ。
△命みこともちて 言霊ことたまによりての義ぎ。
△皇御祖すめみおや 皇すめは統すべる也なり。澄すむ、住すむ等とう皆みな同一どういつ語源ごげんから出いづ。水みづや空気くうきが澄すむといふのは、混入こんにふして居ゐた物体ぶつたいの間あひだに統一とういつが出来でき、安やすらかに鎮定ちんていする事ことである。人ひとがこの世よに住すむといふのも矢張やはり同一どういつ意義いぎで大だい主宰者しゆさいしやの統治とうぢの下もとに安住あんじうする義ぎである。若もしそれが現在げんざいの世界せかいの状態じやうたいの様やうに理想りさうの大だい主宰者しゆさいしやを失うしなつて居ゐると、世よは乱麻らんまの如ごとく乱みだれ、人ひとの心こころは濁にごり、人民じんみんは流浪るらうに立たつて四散しさんする、所謂いはゆる住すむに住すまれぬ事ことに成なる。御み(ミ)は体たいの借字しやくじ、祖おやは祖神そしんである。

△神かむ伊邪那岐いざなぎの命みこと 神かむ(カム)は酒さけを醸かむのカムなどと同義どうぎを有いうし、宇宙うちう万有ばんいうを醸造じやうざうし玉たまふ伊邪那岐いざなぎの命みこと様さまに冠くわんしたる形容けいよう的てき敬語けいごである。伊邪那岐いざなぎの命みこと様さまは、火系くわけい(陽系やうけい)の御ご祖神そしんで、宇宙うちうに於おけるあらゆる活動くわつどうの根源こんげんを司つかさどり、大修祓だいしうばつ大整理だいせいりは常つねに此この神かみの御ご分担ぶんたんに属ぞくするのである。
地ちの世界せかい(顕けんの幽界いうかい)に於おいて伊邪那岐いざなぎの命みことの御お仕事しごとを分掌ぶんしやうし賜たまふのが詰つまり国常立くにとこたちの尊みことで、神諭しんゆの所謂いはゆる世よの大立替おほたてかへといふのは大修祓だいしうばつ決行けつかうの事ことなのである。宇宙間うちうかんに起おこる事ことは地球ちきうの内うちにも起おこり、地球ちきうの内うちに起おこる事ことは宇宙うちう全体ぜんたいにも影響えいきやうを及およぼす、両々りやうりやう関聯くわんれん不離ふりの仕掛しかけになつて居ゐる。更さらに進すすんで小せう伊邪那岐いざなぎの命みことの御禊祓みそぎはらひは一国いつこく一郡いちぐんにも起おこり、一郷いつきやう一村いつそんにも起おこり、一身いつしん一家いつかにも起おこる。表面へうめんの字義じぎに拘泥かうでいして伊邪那岐いざなぎの命みこと様さまが九州きうしうの橘小戸たちばなのをどの阿波岐あはぎ原はらといふ所ところで、御禊みそぎを行おこなはれ、そして祓戸はらひど四柱よはしらの大神おほかみ達たちをお生うみに成なつたなどと解釈かいしやくすると、更さらに要領えうりやうを得えない。

一層いつそう詳くはしき事ことは大祓おほはらひ祝詞のりとに出でて居ゐるから是非ぜひ参照さんせうされたい。

△筑紫つくしの日向ひむか 
古事記こじき岐神ぎしん禊祓みそぎはらひの段だんと同一どういつ筆法ひつぱふである。
『是ここを以もちて伊邪那岐いざなぎの大神おほかみ詔のりたまはく。吾あ者は到いたりて於伊那いな志許米しこめ志許米しこめ岐き穢国きたなきくにに而在祁理ありけり。故かれ吾あ者は為せな御身おほみま之の禊はらひ而とのりたまひて。到いたり坐まして筑紫つくしの日向ひむか之の橘たちばなの小門をど之の阿波岐あはぎ原はらに而禊祓也みそぎはらひたまひき。故かれ於投棄なげうつる御杖みつゑに所成なりませる神名かみのなは。衝立つきたつ船戸ふなどの神かみ。………』[※]云々うんぬんとある是也これなり。『古事記こじき』が表面へうめんの字義じぎの解釈かいしやくで分わからぬと同様どうやう、この祝詞のりとも亦また分わからない。

筑紫つくしは尽つくしである、究極きうきよくである。完全くわんぜん無欠むけつ、円満ゑんまん具足ぐそくである。数すうで言いへば九くである。筑紫つくしが九州きうしうに分わかれて居ゐるのもそれが為ためである。無論むろん筑紫つくしとか九州きうしうとか云いふ地名ちめいが先さきに起おこつたのでなく、地名ちめいは、後あとで附つけられたので、本来ほんらいは筑紫つくしも日向ひむかも天地てんち創造さうざうの際さいからの語ごである、地球ちきうの修理しうり固成こせいが出来できぬ以前いぜんから成立せいりつして居ゐる言霊ことたまである。日向ひむかは光明くわうみやう遍照へんぜうの義ぎで(ヒムカシ)と同一どういつ語源ごげんである。

△橘たちばなの小戸をど これも地名ちめいではない。タチは縦たての義ぎ、ハナは先頭せんとうの義ぎ、即すなはち先頭せんとうの縦行たてぎやうたるアイウエオの五大ごだい父音ふおんを指さす。小戸をどは音おとである、言霊ことたまである。宇宙間うちうかんは最初さいしよ五大ごだい父音ふおんの言霊ことたまの働はたらきによりて修理しうり固成こせいが出来できたのである。

△阿波岐あはぎ原はら 全大ぜんだい宇宙間うちうかんの事ことをいふ。一音いちおんづつ解かいすれば、アは天地てんち、ハは開ひらく、ギは大中心だいちうしん、ハラは広ひろき所ところ、海原うなばらの原はらなどと同おなじ。

084△御禊祓みそぎはらひ 身体しんたいの大修祓だいしうばつの事こと。
085△祓戸はらひどの大神おほかみ達たち 祓戸はらひど四柱神よはしらがみ、即すなはち瀬織津せおりつ比売ひめ、速はや秋津あきつ比売ひめ、気吹戸主いぶきどぬし、速はや佐須良さすら比売ひめの四神ししんである。凡すべて大修祓だいしうばつ執行しつかうに際さいしては八百万やほよろづの神々かみがみは常つねに此この四方面しはうめんに分わかれて活動くわつどうを開始かいしし、諸々もろもろの枉事まがこと罪つみ穢けがれを払はらひ清きよめ給たまふので、天津あまつ神かみたると国津くにつ神かみたるとを問とはず、又また宇宙うちう全体ぜんたいたると、地球ちきう全体ぜんたいたると、又また一郷いつきやう一村いつそん一身いつしん一家いつかたるとを論ろんぜずして、四方面しはうめんの修祓しうばつが起おこるのである。地球ちきうの大修祓だいしうばつ、世よの大立替おほたてかへが開始かいしさるる時ときには、神諭しんゆの所謂いはゆる雨あめの神かみ、岩いはの神かみ、風かぜの神かみ、地震ぢしんの神かみの大活動だいくわつどうとなる。

△天あめの斑駒ふちこま 一音いちおんづつ解かいすればフは力ちから、チは霊れい、コは体たい、マは全まつたきの意い。

△耳振立みみふりたてて聞食きこしめせ 活動くわつどうを開始かいしし玉たまへの意い。単たんに耳みみで聞きくといふよりは遥はるかに深遠しんゑんな意義いぎが籠こもれる句くで、きくは弁口べんこうがきく、鼻はながきく、手てがきく、眼めがきく、幅はばがきく、融通ゆうづうがきくなどのきくと同おなじく活用くわつよう発揮はつきの意味いみである。

大意たいい 宇宙うちう天地てんち万有ばんゆう一切いつさいの大修祓だいしうばつは、霊系れいけいの御ご祖神そしんの御ご分担ぶんたんに属ぞくする。現在げんざい『地ちの世界せかい』に於おいて執行しつかうされつつある国祖こくその神かみの大掃除おほさうぢ大洗濯おほせんだくも詰つまり宇宙うちう全体ぜんたいとしては伊邪那岐いざなぎの命みことの御おん仕事しごとである。幾いく千万年せんまんねん来らい山積さんせきした罪穢ざいくわいがあるので、今度こんど『地ちの世界せかい』では非常ひじやうな荒療治あられうぢが必要ひつえうであるが、これが済すんだ暁あかつきには刻々こくこく小掃除せうさうぢ小洗濯せうせんだくを行おこなへば宜よろしいので、大体だいたいに於おいては嬉うれし嬉うれしの善ぜん一ひとツの世よの中なかに成なるのである。即すなはち伊邪那岐いざなぎの命みことの御禊祓みそぎはらひは何時いつの世よ如何いかなる場合ばあひにも必要ひつえうあるものである。これがなければ後あとの大立直おほたてなほし、大建設だいけんせつは到底たうてい出来できない訳わけである。

さて此この修祓しうばつは何なにによりて執行しつかうさるるかと云いふに、外ほかでもない宇宙うちう根本こんぽんの大だい原動力げんどうりよくなる霊体れいたい二系にけいの言霊ことたまである。天地てんちの間あひだ(即すなはち阿波岐あはぎ原はら)は至善しぜん至美しび、光明くわうみやう遍照へんぜう、


根本こんぽんの五大ごだい言霊ことたま(アイウエオ)が鳴なり亘わたつて居ゐるが、いざ罪穢ざいくわいが発生はつせいしたと成なると、言霊ことたまでそれを訂正ていせい除去ぢよきよして行ゆかねばならぬ。人ひとは宇宙うちう経綸けいりんの重大ぢうだい任務にんむを帯おびたるものであるから、先頭せんとう第一だいいちに身霊みたまを磨みがき、そして正ただしき言霊ことたまを駆使くしすれば、天地てんちも之これに呼応こおうし、宇宙うちうの大修祓だいしうばつも決行けつかうされる。其その際さいにありて吾々われわれ五ご尺しやくの肉体にくたいは小せう伊邪那岐いざなぎの命みことの御ご活用くわつようとなるのである。雨あめを呼よべば土砂降どしやぶりの大雨おほあめが降ふり、地震ぢしんを呼よべば振天しんてん動地どうちの大地震だいぢしんが揺ゆり始はじまる。これが即すなはち『御禊みそぎ祓給はらひたまふ時ときに生坐なりませる祓戸はらひどの大神おほかみ達たち』である。かくして一切いつさいの枉事まがごと罪つみ穢けがれは払はらひ清きよめらるる事ことになるが、かかる際さいに活動くわつどうすべき責務せきむを帯おびたるは、八百万やほよろづの天津あまつ神かみ、国津くにつ神かみ達たちでこれ以上いじやうの晴はれの仕事しごとはない。何卒なにとぞ確しつかり御ご活動くわつどうを願ねがひますといふのが、大要たいえうの意義いぎである。何人なにびとも日夕につせき之これを奏上そうじやうして先まづ一身いつしん一家いつかの修祓しうばつを完全くわんぜんにし、そして一大事いちだいじの場合ばあひには、天下てんかを祓はらひ清きよむるの覚悟かくごがなくてはならぬのであります。

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