長崎〜熊本 旅行

昔の話。

坂本竜馬が闊歩した町。
グラバー邸、亀山社中、竜馬の像を見るために長崎に行った。

竜馬像がある公園からバスで亀山社中へ向かおうとしたところ、先にバスにいた年配の女性たちから、裏山から行けばすぐよ。と言われた。男性たちは、やめといたほうがよいと言われた。女性たちは、大丈夫よという。彼女たちの意見に従い山を下ることにした。

そして、すぐに後悔した。木がうっそうとしていて陽が当たらず、周りは墓。墓地であった。怖いので大きな声で歌いながら駆け降りた。

ようやくたどり着いた亀山社中に感動。外観は平家の民家のようであった記憶が残っている。

中に入ると等身大の龍馬の写真。

興奮!

年配の男性にいろいろと説明してもらった。亀山社中にあったノートに感想を書いたら、後日、竜馬が履いたブーツが印刷されている手拭いが送られてきた。遠い昔のことなので手拭いは処分してしまった。

そのあとは、26聖人の像に行った。

たまたま、海外からきたグループが来ていた。一緒に写真を撮ってもらった。

大村天主堂では、コルチャック先生とコルベ神父にかかわる展示をしていた。しばらくの間、私はこの二人が同じ人物だと思っていた。数年前、アウシュビッツに行ったおきに、ガイドの中谷さんの話でようやく別々の人物だと認識した。中谷参加からは遠藤周作の「女の一生」を紹介された。その後、クラクフの町を案内してくれた若い日本人の女性のガイドは、コルベ神父の肖像画がある教会を案内してもらった。

話を長崎に戻す。

夜景が見たいため、定期観光バスで長崎市内を観光した。

夕方から始まるツアーで最初に立ち寄ったのは、平和の像がある公園であった。井の頭公園にあるレプリカの平和の像よりはるかに大きかった。バスに戻ってからは、原爆投下地点、原爆資料館を車窓から眺めた。その後、どこかで食事をして、稲荷山だったか山から長崎の夜景を眺めた。

朝は、ホテルの近くにある教会の鐘の音で目が覚めた。その後は、メインテーマである島原の乱を巡る旅。(天草四郎をめぐる旅)

長崎市内からバスで山越えして港についた。そこから天草へ行く船に乗った。激戦地であった島原城へ時間がなかったので立ち寄らなかった。

天草に到着した。乗客も少ないためか、あっという間に人は散らばり、バス停まで歩くが人影もない。まるでこの世に一人残されたような感じがした。

バスの時間まで待つ。人なし。

そこから、本数が少ないバスの時間を気にしながら島内を周遊する。

しばらくは、バスの運転手と私だけであったので情報収集のため話をする。運転手から、情報を仕入れた後、運転手は私より先にバスをおりた女子大生は出費を抑えるために歩いて島をめぐると言っていたとのことを話した。ちょうど、途中でその女子大生とすれ違い、運転手はあの子だよと指をさして心配そうに言っていた。

その後、崎津教会や天草四郎関係の資料館などに行く。

崎津教会は訪問したときは知らなかったが、ある芝居で「からゆきさん」という存在を知った。今では当たり前になっていることは先達が手に入れて来たものであること。又は日本国憲法により保障されたものであることを実感した。今考えると、長崎にいくまで教会というものを訪ねたことがなかったのかもしれない。不思議な感じがした。

話を戻す。

バス停でバスを待っていたときに、リーゼント頭のおじさんに声をかけられ、車で送ってやるよと言われるが、すぐにバスが来るからと言ってやんわり断った。それてもしつこく、変なことしないよとか、娘が東京にいるからとか言っていた。

その夜は、さすがにクタクタになり、早く寝たかった。どこかの店で魚の煮つけ料理を食べた。

私は旅に行くと食事はどうでもよくなる。

次の日の朝、朝一番のバスで熊本に行く予定であったが、軽いめまいがしたため、次のバスにした。ろくに食事をしないで観光していたことを思い出した。

次の日は、田原坂に行く予定であった。

こうして書いていると、いろいろと思い出してくるものである。

私、すごかったなと思った。

それにしても…、ある人が巡礼の旅をする人だねと私のことを言っていたが、中らずと雖も遠からずかな。

ここまで読んでくださりありがとうございました。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?