安らかを祈る恋心たち

今朝、悲しいニュースをみて
あと3時間は寝ていられたけど、もう目が覚めてしまった。

高橋幸宏の訃報。

最近、高橋幸宏似の知り合いが出来て
「彼は高橋幸宏に似てるんです」と紹介することを楽しんでいたところでした。
(ここで似ている似ていないは論点ではなく、あ〜幸宏さんね!と高橋幸宏について既存知識がある相手か、90年代音楽トークが伝わるのか、という点で話題にふるいをかけられるため)


顔ファンだった。
サディスティック・ミカ・バンドが好きだった。
YMOは当たり前に気持ちよくて。
ソロ活動の曲をここ半年毎日聞いていた。
声がフェチに引っかかった。
どんないいこと が好きだった。
恐れながらドラマーとしての憧れもあった。
ファッションもかっこよくて、
やっぱり顔が好きだった。
音楽的センスにだいぶ引っ張られた。
とにかく歌声が好きだった。
優しい声が素敵で。
アーティストとして、恋していた。

ご立派な好きな理由や思い入れは特になくって、
幸宏さんを嗜好しだしてから日も浅いし。
でも、ちょうどココ最近、ハマっていたの。
それでとても悲しいきもち屋さんになっている。


悲しいな。亡くなったって、無くなった だから悲しい。


気になるのその瞬間の、該当人物の生死は
コンテンツ消費における消費者の
「寂しい」
「おいてけぼり」
「該当人物を好きという気持ちの行く先の無さ」
があると思う。思ってる。

この切なさで別例を出すと、
わたしは一昨年フィッシュマンズ佐藤伸治が自分の産まれる前に死んでしまっている事実にひどく落ち込んでしまって、過呼吸になったことがある。(今のところ人生で唯一の過呼吸)

いまだにLINEのアイコンは伸治くんの当時の彼女(marimari)の写真だったりする。
でも死んでしまっていると、こんな気色の悪い焦がれ方しか出来ないんだよ。繋がってる感、感じてたいんだ(泣)

悲しいままに打ち込んじゃったから、およそ読み物として機能していない気がするけど
わたしがこのタイミングでつまり記録したかったことは
該当人物が生きている間に「生の」ファンでいさせてもらえるって、非常にありがたいんだと思います。

完全に自分の好みのせいだけど、やっぱり20年は産まれるのが遅かった。


わたしのアーティストへの恋心は
いつも安らかな眠りを祈ることでしか消化できない。

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