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スピリチュアルに目覚める人と目覚めない人の違い


スピリチュアルと聞くと霊とか占いとか何か目に見えない怪しいもののように思う人も多いと思う。

スピリチュアルと聞いた途端毛嫌いする人もいるが、そもそもスピリチュアルとは何なのか。

辞書で調べてみても精神的なあるいは霊的な意味として捉えられているが、数々の不思議な体験と気づきを得て思うのは、スピリチュアルとは、目の前で起こる出来事の、目に見えない部分の意味を感じながら、ありのままの自分を生きる事ではないかと思う。

仮にそうだとするとスピリチュアルに目覚める人は、本来の自分を生きようとする人であり、スピリチュアルに目覚めない人は、本来の自分から遠ざかった生き方をしているという事になるだろう。

人は誰しも生まれた時には、スピリチュアルに目覚めた存在であるが、育った環境や出会う人の影響、経験の蓄積などにより、個々の人格が形成されてゆく。

学校や社会に出ると、社会的な一般常識に照らし合わせて生きなければならない。

そうしているうちに、自分がしたい事と自分がしなければならない事の区別が、段々とつきにくくなってくる。

例えば、勉強したくて学校に行っているのに、クラスメイトと仲良くしないといけなかったり、逆に学校には友達に会いたくて行っているのに、勉強や宿題をしないと怒られたりして、やりたい事とやらないといけない事の間で折り合いをつけることを学んでいく。

学生時代はある程度同じ偏差値の人の集まりであるが、社会に出ると、家庭環境も学校も、様々なバックグラウンドの人と知り合う事になる。

そうすると、学生の頃よりも、それぞれ違った常識を持ち合わせた人が集まって、常識と常識がぶつかり合う現象が起きる。

その中で、スピリチュアルに目覚める人は、より自分に合った環境や生き方を見つけて行動していく事が出来る。

稀に、生まれた時からずっと無意識に自分らしく生きられる人もいるけれど、ほとんどの人は、スピリチュアルに目覚める前には、うつ病やDV、家族との確執、離婚や死別などのとても辛い経験を伴う。

人間というのは、放っておくと、惰性に流されやすい生き物だから、そのくらいショックな出来事が起きないと、変わろうとする努力が出来ないのだろう。

スピリチュアルに目覚めない人は、目の前の問題と向き合えずに、ストレスの捌け口を探して他人の悪口を言ったり、お酒やセックスやドラッグに溺れたりして、一時しのぎの快楽で、なんとか問題をごまかそうとしてしまう。

もっともそれすらスピリチュアルに目覚める為の過程でもあるのだが。

スピリチュアルに目覚める人は、自分の内側と向き合う人で、スピリチュアルに目覚めない人は、今はまだ本当の自分と向き合えない人だとも言える。

今はまだというのは、最終的には、誰しもスピリチュアルに目覚める時が来ると信じているからである。

その時期が少しでも早まって、より自分らしく楽に生きられる人が増えたらいいなと思います。

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