あれから14年経ったってよ
小学2年生の時、3学期はあまり学校に行かずにホスピスで過ごしました。
それは、母親が末期のガンでいよいよ、という状況になったから。
一つ上の姉と一緒にお母さんのベッドの上でよくはしゃいでいました。
3月3日。ひなまつり。
看護師さんに渡された甘酒を、お母さんに押し付けた記憶があります。笑
そこまで甘酒は嫌いじゃなかったけど、
お母さんとわちゃわちゃお話するのが居心地よくて、
少しでもお母さんの膝の上に居たくて、駄々をこねてたんだろうなあと。
そして3月4日。
母は小春日和の中、息を引き取りました。
微笑みながら、涙を流しながら。
あれから、14年。
断片的にしか残っていない母の記憶をたどり、
忘れたくない母の笑顔を、パズルのように組み合わせながら思い出す。
もう思い出せない声や、立ち姿を何度も思い出そうとしながら。
そして、その度に、
「私はお母さんがいなくても立派にやっているよ」
と唱えて、
「もっとあなたの誇りになれるよう成長するよ」
と誓う。
それと同時に、
「なんでそばで私の頑張りを見守ってくれていないの?」
という思いも浮かんでくる。
いやーーー、囚われてんな笑笑
自分、本当にマザコンだと思うw
人の死とは恐ろしいもので、
14年経った今も、心の一部は7歳の時のままw
ただ、前まではそんな自分に対して嫌気が指していたけど、
最近は「マザコン上等!」と言いますか、
「このコンプレックスを原動力にふさやまは突き進むぞ!」とむしろ糧にしております、笑
去年までは、自分の境遇の苦しさにまだとどまっていたい
(言葉を選ばないと、不幸ぶっていたい)期間だったけど、
今年たくさんの人と出会っていく中で、
自分はむしろ沢山の人に恵まれてることに気づき、
自分の境遇をちゃんと受け止めることができました。
長ーい時間がかかっちゃったけど、
少し殻を破って、前に進んでいけそうです。
大変長らくお待たせしました&ご心配おかけしました。
お母さん!もう大丈夫やおー!!
さて、もうすぐ萌黄色の季節になります。
「萌」という名前は、萌黄色から取ったそうです。
萌黄色をした新しい芽は、春を知らせて、人々を笑顔にしてくれます。
お母さんからもらった大切な言葉、
「萌ちゃんの笑顔は周りの人を笑顔にする力があるよ。
これからもたくさん笑って、たくさんの人に笑顔を届けてね。」
萌ちゃんは、萌ちゃんの笑顔で、
春のようなあたたかーい気持ちをみなさんにお届けします!
あたたかーい春がきましたよー🌸
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