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8日目 平和島の冷凍倉庫 日勤コンテナが見せた地獄 “俺は非力だ“ 後編

1本目のコンテナが終わったのは何時かはわかりません。遠くにある時計を見る余裕すらその時の僕にはありませんでした。しかし、まだ1時間と少しぐらいしか経っていなかったとは思います。最後まで耐えられるだろうか。僕は不安でした。

次の作業は2本のコンテナを二手に別れて同時並行で行っていく事になりました。僕は1人の日雇いの人と2人でコンテナ作業を行う事となりました。

その人は先ほどBCDの位置にいた人でした。30代後半~40代前半ぐらいの175㎝程の比較的細身の男性でした。上の前歯が真ん中に1本しかありませんでした。

人の顔をまじまじと、しかも一点を集中的に見つめるのは失礼にあたるのでそこまでしっかり確認できなかったのですが、僕が見た限り上の前歯が1本しかなく、それ以外の本来前歯が生えているべき空間は完全な無か、わずかに残った、かつて歯だったと感じさせる欠片のようなもので占められていました。

倉庫の日雇いにおいて歯が無いというのはそれほど珍しい特徴では無いかもしれません。僕も、まあそういう人もいるだろうなと思いました。1本から取って、以下この人の事は1さんと呼びます。1さんは丁寧に次の作業を教えてくれる良い人でした。

1さんから教えてもらった作業内容を図に書いて説明します。先ほどのコンベアを利用した流し作業は僕と1さん以外の5人がもう1本のコンテナで行っています。僕たちは図1のように2人でコンテナから直にパレットの上に段ボールを積んでいきます。決められた数積んだらフォークリフトがそれを運んでいき、また空のパレットが届きます。それをコンテナが空になるまで繰り返します。

コンテナが空になっていき、コンテナ内に空間が生まれたら図2のようにパレットの形をした、車輪とストッパーのついた鉄製の枠のようなものの上にパレットを乗せてコンテナ内に入れます。これにより、コンテナ内でパレットを移動させる事が可能になるので、図3のようにコンテナの奥で積んだ段ボールをコンテナの端まで移動させてフォークリフトに持っていってもらう事が可能になります。この一連の作業は「手下ろし」と呼ばれているようでした。コンベアを使った作業は「流し」と呼ばれていました。

僕と1さんが手下ろしするのは10㎏のブラジルの冷凍チキンでした。今回は結束バンドタイプの段ボールでした。

手下ろしはコンベアを使った流しに比べると、スピードの求められる作業ではありませんし、10㎏という軽めの積み荷でもあった事から、肉体的にも精神的にも落ち着いた状態で行っていく事が出来ました

しかし、コンベアを使った作業よりは進みは遅く、コンテナの半分ぐらいいったところで正午になって、1時間の昼休憩になりました。

休憩室で注文していたお弁当を食べます。唐揚げ、豚肉と油揚げの炒めもの、ラタトゥイユなど、品数が多く彩りが非常に豊かなお弁当です。ご飯も大盛です。この彩りに対して、やはりそれほど美味しくはありませんでした。決して不味くはありません。しかし手放しで美味しいと言えるものでもありません。しかし、何にせよこのように栄養バランスの考えられたお弁当を頂けるのありがたい事です。

常連の人達同士が、今日は残業になるだろうと話していました。僕は完全に自分が非力だと認めてしまったので、残業上等という気持ちにはもう戻れませんでした。さっきやっていた10㎏の手下ろしのような作業であれば、非力な自分でもやりおおすことは出来るかもしれないとは思いましたが、その先に来るコンテナがどのような積み荷を積んでいるのかはわからないので、何とも言えませんでした。

お弁当を食べ終えた後は自販機があるロビーのような場所があるのですが、そこでカップコーヒーを購入して窓に面したカウンターに座って飲みました。

川沿いの倉庫なので窓から見える景色にも川がありました。平和島は羽田空港が近いので時折飛行機が飛び立っていくのが見えました。写真に撮ったのですが、ピントがずれてしまいました。シャッター音が鳴るのでもう一度写真を撮るのは恥ずかしくてやめました。

休憩が終わり倉庫に戻りました。先ほどの10㎏の冷凍チキンの手下ろしの続きをすると思っていたのですが、そちらは5人の方でコンベアで流しをする事になったらしく、僕とAさんは新しく着いたコンテナの手下ろしをする事になりました。

その積み荷はアメリカの冷蔵ポーク20㎏でした。夜勤の冷蔵倉庫もそうなのですが、積み荷に冷蔵と冷凍が混じっている理由は僕にはわかりません。夜勤との区別化の為この倉庫の事は冷凍倉庫と呼んでいますが、倉庫の状態としては夜勤とほぼ同じなのかもしれません。

冷蔵か冷凍はともかく、20㎏というのは僕が出会ってきた積み荷の中では最重量でした。長方形の形をした20㎏の冷蔵ポークがコンテナにぎっしり詰まっている光景は不気味でした。作業が始まりました。

20㎏の冷蔵ポークは重かったです。僕は笑ってしまいました。もうやけくそのような気持ちでした。「重いっすねえ!」と1さんに笑いながら話しかけました。1さんは「きついっしょ!」と答えました。

手下ろしは流しのようにスピードは求められませんが、パレットの上に決められた積み方で積んでいくので、ただコンベアに乗せれば良い流しよりも積み荷を持って動かす時間が長いのでその分積み荷の重さをじっくり体感することとなります。

20㎏はとにかく重たかったです。重いな、何だこれ。僕は1人でヘラヘラと笑っていました。笑うしかありませんでした。

手下ろしはスピードが要求されませんし、フォークリフトがパレットを運んで行って、新しいパレットを運んでくる間に待ち時間が生まれるというのが救いではありました。しかし、その分進みは遅いです。終わりが見えませんでした。

1さんは「これね、1200個!」と聞いてもいないコンテナ内の冷蔵ポークの数を突然僕に教えてきました。数は絶対に知らない方が良かったと思いました。

待ち時間に1さんから色々聞いたところ、この20㎏の積み荷がこの倉庫の平均と考えた方が良いとの事でした。先程の10㎏のチキンや1本目の12㎏のチキンはこの倉庫では軽い方だという事です。

これが平均か...。ここでの平均は僕からしたら限界でした。1さんは僕が主に夜勤に入っていると知って、夜勤は凄い楽だよねと言っていました。やはり、日勤のコンテナメインの作業に比べて夜勤は凄く楽だったのです。

1さんはここには無いけれど40㎏のタコがある倉庫もあると言っていました。40㎏の...タコ...?40㎏とはこの冷蔵ポーク2つ分の重さです。僕は絶句しました。

1さんはそこはさすがに自分でも無理だったからそこは無理ですと事務所に言ってあると言っていました。ジョウナンジマの○○という倉庫に連れていかれたらそこだから覚悟した方がいいと言っていました。

僕は怖くなってしまいました。20㎏のポークでヒーヒー言っている自分が40㎏のタコなんて、恐らく持ち上げる事すら叶わないと思います。

僕がこの先この日雇い生活で筋肉をつけていけたとして、20㎏のポークを今より楽に持ち運び出来る未来は想像出来ない事は無いですが、40㎏のタコを持ち上げられるような未来が来るとはとても思えませんでした。40㎏のタコを持ち上げているのがどんな人達なのか、想像もつきません。

1さんが話を大きく盛っている可能性もありますが、とにかく僕が関われるような世界の話では無いと思ったので、ジョウナンジマという土地のその倉庫に関しては調べてもいません。仮に本当に40㎏のタコがある倉庫があってそこに連れていかれたら、僕は即座にギブアップするしかないのです。

そのように1さんの話を聞きながら20㎏のポークを何とか手下ろししていると、途中で別の日雇いの方から、新しいコンテナが着いたからそちらの流しをして欲しいと言われました。

なので、その日雇いの方と変わってそちらのコンテナの方に向かいました。新しく着いたコンテナの中身はアメリカの21㎏の冷蔵ポークでした。最重量を1㎏更新しました。

1本目に一緒に流したAさんと今回も一緒に流す事となりました。Aさんは「お、来たか!」と笑っていました。作業が始まりました。

恐らく、流しの方が手下ろしよりも楽だろうという事でこちらに回されたのだと思います。実際、コンベアに乗せるだけなので、積み荷の重さと付き合う時間は流しの方が短く、重さという点では先程の方が重く感じたかもしれません。

しかしながら、流しは絶え間なくコンベアに乗せていかなくてはいけないので、スタミナを大きく削られる事となります。僕は流しを開始してすぐにヘロヘロになってしまいました。21㎏の積み荷の流しは未体験のきつさでした。

1パレットごとにラップが巻かれているので、それをカッターで切る時間が何とか息を整えられる僅かな休憩時間となりましたが、またすぐに流しが再開します。

僕は、無理だ。これは無理だ。と思いました。これが平均ならば無理じゃないか。残業なんて無理じゃないか。頭の中で無理という言葉がぐるぐると回りました。もういつ限界を迎えてもおかしくありませんでした。

Aさんとの差は当然開いています。もうそんな事は気になりませんでしたが、Aさんも他の日雇いの人も何故そんなに平気なのかが僕にはわかりませんでした。

Aさんはバテているように見えませんし、流しに関して言えば恐らくBCDの位置にいる人達の方がきついはずなのですが皆平気な顔をしているように僕には見えました。

こんなにしんどいのに、何故皆そんなに平気な顔でいられるんだ?何故そんなペースで21㎏を流せるんだ?僕はもう訳がわかりませんでした。しかし、結局のところ、それは僕が非力だからという事以外の何でもありません。皆が僕より力があって、僕には無い、それだけでした。

圧倒的な敗北感の中で僕はもう、やけくそのように積み荷を流し続けました。力が無くても、もう限界でも、与えられたこの作業を行うしか、前に進むしか、仕方がないのです。

力を振り絞って、何とか、21㎏の冷蔵ポークのコンテナを空にしました。達成感も何も感じませんでした。そういったポジティブな感情を抱くにはあまりにもこの日味わった挫折や絶望の方が大きかったのです。僕は何も思わず、ただ汗だくのまま空のコンテナの中にしばらくぼーっと立っていました。

そこで休憩となりました。僕はトイレの洗面所で水をガブガブと飲みました。500mlのスポーツドリンクを持っていましたがとうに空になっていました。ペットボトルを何本買ってもキリがないので買いませんでした。

この段階でもう17:00を回っていました。コンテナは残り2本なのでやはり残業になるようでした。僕は、20㎏級の積み荷の流しや手下ろしがあったらもう無理だと思いました。そうでない軽めのものなら出来ない事もないけれどそれも定かではありませんでした。

外の休憩スペースに出ると、管理者の方から古川君は今日はもう終わりでと告げられました。僕ともう1人、元々残業出来ないと伝えていたであろう日雇いの人がそこで終業となりました。

残りは5人いれば十分な作業量だから人件費を削る意味合いで常連ではない僕を削ったのか、明らかに僕がバテているのを見て優しさから削ってくれたのかはわかりません。

僕はでも、残業をしなくても良いとわかって安堵しました。助かったとおもいました。そしてそんな自分を情けなく思いました。

給料を受け取って、ロッカールームで着替え、その倉庫を後にしました。夕陽に沈んでいく倉庫街を歩きながら、これからどうしようと考えました。

今後日勤に入るかどうかです。この日1日で、僕は日勤に対して完全なトラウマを持ってしまいました。初日を終えた後は、また行こうと思えましたが、あの日は日勤の中でもとても楽な日だったのだと思います。

本気の日勤を前に、僕は今までの日雇い生活の中で培ってきた倉庫の日雇いに対する自信を完全に打ち砕かれてしまいました。もう、自分が強くなれる気がするだとか、コンテナをしている時に生きている感覚がするだとか、綺麗事は言えません。

夜勤は通常通り夜空いていれば行きますが、丸一日空いた時に、日勤に行くかどうか。その答えは自分の中でもまだ出ていません。丸一日空いた日が来た時に、また考えたいと思います。本日の教訓はこちらになります。

「自分が成長したつもりでいても実際そうでもない事もある」

お付き合いありがとうございました。次回も是非お楽しみ下さい。

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