やめるつもりのなかったバイトをやめてしまいました

皆さんこんにちは。サスペンダーズの古川と申します。生活が困窮しきってしまい、倉庫での日雇いの肉体労働を始めたので、その日々をこのnoteに綴っていきたいと思います。読んで頂けたら幸いです。まずは日雇いに至った経緯を書きます。

僕は売れていない芸人で、収入のほとんどはバイトの給料なのですが、7月の頭にそれまでしていた漫画喫茶の夜勤のバイトをやめてしまいました。

その少し前から、ある事情で店長の信頼を失い、週3だったシフトがちょくちょく週2に減らされてしまうようになっていたのです。

信頼を失っている事は理解しながらも、生活が厳しいので週3のシフトに戻して欲しいと何度か店長にお願いしましたが、週3で組むようにはしてるけれど他のバイトの人との兼ね合いもあると言われ、週2のシフトに減らされる頻度は増えていきました。

実際に兼ね合いも多少はあったのかもしれませんが、信頼出来なくなった僕のシフトをなるべく削りたいという店長の思いは明らかでした。

どうしてもシフトを元に戻して欲しかった僕は、完全な週3に戻してもらえないならば今週入っているシフトを最後にやめさせてもらうとラインで店長に伝えました。

とはいえ本気でやめようとは思っておらず、信頼を失ってはいても週2でシフトに入っている人間が急にやめるのは向こうとしても困るだろうし、完全週3、それが叶わなくとも限りなく週3に近いシフトに戻す事を検討してくれるだろうという想定のもと、いわばちょっとした駆け引き、政治のつもりで店長に投げかけてみたのです。

そういった僕の想定とは裏腹に、店長の返答は「了解しました」というシンプルかつ残酷なものでした。

そのラインを見た時、部屋に1人でいたのですが「えっ!!!」と大きな声を出してしまいました。激しく動揺しました。

週3を検討してくれるのが理想、もし難色を示されるようなら週2は受け入れて別で週1ぐらいで出来るバイトを探そうと思っており、そのような返答が来るパターンは全く予想していなかったのです。

しかし今さら吐き出した言葉を戻す事も出来ず、「お世話になりました」とわけもわからぬまま返信してしまった後で、呆然と天井を見つめました。

僕は、やめるつもりのなかったバイトを、やめてしまったのか...?現実に今起きた事とは思えませんでした。急にやめて、店長は困らないのか...?と思いました。

しばらくして、バイト先のグループラインに店長から翌週のシフト表の画像が投稿されました。そこには、僕が抜かれ、僕を抜いた事でむしろ理想的なフォーメーションとなったシフト表がありました。

元々夜勤志望だった夕勤の学生が僕の代わりに夜勤に入っていたりして、誰も無理しているようには見えない、なんというか、皆が幸せになる美しい形のシフトでした。最初から僕なんていなかったかのようでした。

もうここには戻れない。僕はいつからか、この理想形のシフトをいびつにさせる邪魔者に成り下がってしまっていたのだ。そう思いました。そのバイト先への未練はそこで捨てました。

シフトを増やさなければやめるという、小さな子どもがするような駄々をこねて心理戦に持ち込んだような気になっていた浅はかな僕の自業自得にすぎません。

そのようにして僕は野に放たれてしまいました。普通、バイトをやめるのであればあらかじめ次のバイト先の目処は立てておいたり、バイトをしてない期間の生活費となる貯金をしておいたりするのでしょうが、やめるつもりのなかった僕はそのような準備は一切しておらず、何なら消費者金融に借金があるという目も当てられない状態でした。

新しいバイトを探すのがとてつもなく面倒だったので、僕はしばらくバイトを探すことも無く日々を過ごしました。お金は当然みるみる減っていきます。10日ほど経ったころ、ようやくこのままではヤバいと思いました。

いつもならその間バイトしているので次の給料日になればバイトした分の給料は入ってきますが、もう僕に「次の給料日」というものは存在しません。バイトをしていないからです。

所持金は底をついてしまうのに次の給料日は存在しない。その事実に気付いた時、気付いた時というか最初から気付いていたけれど目を背け、背けきれない所までお金が減ってしまった時という事なのですが、僕は赤ん坊のように泣き出したくなりました。

お金が無いという事の圧倒的な恐怖、そして、面倒だという理由でこんな状態になるまで何も動かず過ごして来た自分への情けなさが涙腺を激しく刺激しました。

泣いていても仕方がないので、まずは恥ずかしい話ですがサラリーマンの友達にお金を借りました。当面の生活費をそれでまかなう為です。その友達には感謝しかありません。いつか恩返しできたらと思っています。

同時に、公園に併設された子ども用プールの監視員という、僕が学生時代に毎年していた夏の間だけのバイトの管理者の方から、今年バイトしませんか?という連絡が入ったのでさせてもらう事にしました。芸人になってからも毎年ではありませんがちょくちょくそこでバイトさせてもらっていたのです。

当面のお金とバイトは一応何とかなり、最悪の事態は免れましたが、これで事態が完全に解決した訳ではありませんでした。

プールの監視員のバイトは給料日まで1ヶ月のラグがあります。友達からは1ヶ月のその間の生活をまかなえるほどのお金は借りませんでした。しかし、それ以上の額を借りたり、他の人や機関からお金を借りる事はもうしたくありませんでした。

プールのバイトもそれほど沢山のシフトに入れた訳ではないので、1ヶ月後に給料が入ってもそれで経済的に安定するようにも思えませんでした。なので欲をいえば当面のお金に加えて1ヶ月後以降のためのお金も今の内に得ておきたいところでした。

すぐにお金を手に入れたいし、人から借りる等ではなく自分自身で手に入れたい。そのような非常に限定された条件を満たすバイトを僕は1つだけ知っていました。それは倉庫での肉体労働です。前日に連絡をすれば次の日には働けてその日の内に給料がもらえるというものなのですが、仕事内容はかなりハードです。

通常ならそのようなバイトはするはずはありませんが、今の僕にはその日雇いをする以外に生活を立て直す道は無いように思えました。なので、空いてる日があればその日雇いのバイトをする事にしました。夏はとりあえずプールのバイトと掛け持ちで行い、夏が終わったらどうなるかはわかりませんが日雇いに関しては続けられるところまで続けようと思います。

このように人の目にさらされる形にすればすぐにやめるということもなかなか出来なくなるでしょうし、倉庫での日雇いの話を楽しんでくれる人も中にはいるかもしれないという思いからnoteを始めました。

さらに、noteにはサポートという投げ銭のシステムがあるので、楽しんでくれた人の中にサポートしてくれる方がいればありがたい事この上ありません。そういった理由からもnoteを始めました。

長々とバイトをやめたというだけの話を垂れ流してしまって、ここまで読んでくれた人がいるかも定かではありませんが、もう日雇いには先日行ってきたので、次は初日の日雇いについて書きたいと思います。お付き合いありがとうございました。次回の記事も是非お楽しみ下さい。

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