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4日目 平和島の冷蔵倉庫 奇跡の起きた夜

皆さんこんにちは。前回はホストクラブでの体験を書きましたが、今回は倉庫の夜勤に行って参りましたので、その記事を投稿させて頂きます。

ホストクラブを辞めてしまったので、僕は再び倉庫での日雇いに戻ることになりました。現在の僕の経済状況は、プールバイトの給料が月に2回支払われるという僕にとってありがたいシステムだったので、その給料とホストクラブと倉庫での日雇い数回の給料で何とかしのいでいる状態です。

もう1回のプールバイトの給料日が約1週間後に控えているので、そこまで何とかしのげばという気持ちではいますが、給料日を2回に分けているので1回分の給料は少なく、その給料日を迎えても予断を許さない状況といいますか、そこから先は真の、修羅の日雇い生活に突入すると思っています。

だからこそ、本当にホストクラブを続けていれば良かったのですが、仕方ありません。仕方なくもないのですが、仕方ないと片付けるしかありません。支配人に言ったように、僕はもう一度倉庫で頑張る事を決めてしまったのです。

ホストクラブに入ったのが先週末の30日で、辞める連絡をしたのは31日、翌9月1日は昼から夜まで予定がつまっていたので特に動かず、2日は13時からの数時間だけ予定があったので、夜に倉庫の日雇いに入ろうと思って2日の10:00に事務所に連絡しました。

既に仕事は埋まってしまっているとの事でした。またか、と思いましたが、この程度ではもうへこたれません。翌3日も昼に予定があるだけで夜は空いていたので夜勤に応募する事にしました。3日は夜勤に入れる事となりました。前回の夜勤と同じように18:00に事務所に行き、交通費と地図を受け取って、倉庫に向かうシステムでした。

18:00に事務所に行き、受付を済まし、地図と交通費をもらいました。前回の夜勤と同じ会社の冷蔵倉庫でした。倉庫の夜勤に入るのは前回の21日以来ですから、10日以上日が開いていることになります。

前回よりも筋肉はついていて、作業は楽に感じるだろうか?それとも筋肉はこれだけ日を置いたら弱くなって、日雇い初日と同じ状態に戻ってしまっているだろうか?そのような事を考えながら電車に乗って平和島まで向かいました。

平和島に着くまでの間に強い雨が降り始めていました。僕は傘を持っていなかったので濡れながら倉庫へ向かいました。途中、コンビニで2リットルの水を買いました。夕飯を食べて無かったので、そこで安いパンなど買えば良かったのですが、またさつまっこに行ってしまいました。

この間と同じラーメンとライスです。美味しかったです。仕事にありつけた気持ちの緩みからさつまっこに行ってしまうという悪循環が生まれつつあります。次回以降は絶ち切りたいと思います。

橋を渡って倉庫街へ。橋の途中で写真を撮りました。左手が橋で、僕は橋の途中にある階段を降りるところです。右手にぼうっと写っているのは倉庫です。雨ということもあり上手く撮れていませんが、不気味さが伝われば幸いです。

19:30少し前に到着して受付で待ち、日雇いが全員集まり、管理者の方が点呼を取ってロッカールームに行き、着替えてまた受付に集まりました。本日の日雇いは僕を含めて7人でした。前回もいた人が1人だけいましたが、その人以外は初めて見る人達でした。

説明を受け、倉庫内へ入りました。前回と同じように倉庫内でレギュラーの人達の指示に従って動く形となります。僕に最初に言い渡されたのはラップ巻きでした。

これは前回の画像ですが、やることは前回と全く同じです。運ばれてくるパレットに乗せられた段ボールにラップを巻いていきます。前回とは異なり、今回は持ち場にもう1人日雇いの方がいました。

作業を始めてわかったのは、僕は前回大量のラップを巻いた事で、ラップ巻きの技術が格段に上達しているという事でした。それは10日以上ぶりでも鈍らず、ほとんど時間をロスするようなミスを起こさずにラップを巻いていきました。

それに加えて、今回は持ち場にもう1人います。その人もラップ巻きには慣れているようで、スムーズにラップ巻きを進めていました。作業がスムーズに進んで行く事で、ラップを持ったまま何もしないという「パレット待ち」の時間すら生まれました。

僕はこのパレット待ちの時間にぼんやりとホストクラブでのバイトの事を思いました。もう考えても仕方のない事なのですが、ホストクラブでのバイトを捨ててここに戻って来た事が本当に正解だったのだろうかと思いました。

合わない、という理由でホストクラブのバイトを辞めてここに戻ってきたということは僕はこの倉庫が僕に「合ってる」と感じているという事になります。この寒々とした、過酷な倉庫が。

これに関しては、前々から考えていたのですが、このパレット待ちの時間でも考えてみてわかった事があるので、また別の記事で僕の日雇いやバイトに対する考え方としてまとめさせてもらいたいと思います。

そのように、考え事をしながらラップを巻いていると休憩になりました。1時間と少し経っていました。ほとんど疲れてはいませんでした。

休憩を終えて、次に指示されたのはコンテナの荷下ろしです。前回と流れは同じでした。日雇いはラップ巻きとコンテナをローテーションで行います。

これは1回目の図で、2回目もこれと同じ配置だったのですが今回は違いました。Aさん僕と、BCDさんの間にもう1人立ちます。先ほど僕と同じ持ち場でラップ巻きをしていた日雇いの人です。このポジションをEさんとします。

僕とAさんはラベルをBCDさんに向けて段ボールを流すのですが、たまにミスでラベルを逆向きに流してしまうことがあるのでEさんはそれを見つけたら段ボールをくるっと回してラベルがBCDさん向きになるようにします。

ラベルが逆向きに流すことはほとんどないので、Eさんは流れる段ボールを立って見るだけという肉体的負担がほぼ0の作業をすることになります。

Eさんがずっとそのポジションにいる訳ではなく、僕が1パレット分荷下ろししたらEさんと替わって、僕がラベルを見てEさんは荷下ろしという風に、1パレット毎に交代で行っていくようでした。荷下ろし作業量が半分になるわけです。

今回のAの位置にいるレギュラーの人は、メガネをかけた白髪の男性でした。恐らく50代ぐらいの方だと思います。荷下ろしするだけあって、体つきは良かったです。この作業は初めてかどうかなど、丁寧に聞いてくれ、説明を軽くしてくれました。内容自体は3回目なので、特に問題ありませんでした。

積み荷は恐らくまた混載だと思うのですが、最初の層は17~19㎏の冷蔵ポークでした。もうぎっしりつまった積み荷を見てもあまり怖くはありませんでした。作業が始まりました。

始めてみると、その冷蔵ポークは重いは重かったですが、そんなにきついと感じませんでした。筋肉も悲鳴をあげず、息もそんなに切れませんでした。

17~19㎏は恐らく今までで最重量ではありますが、その積み荷でこの感じということはやはり筋力がついているのだろうと思いました。さすがに1パレットすると息は少し切れ汗もかいてきましたが、今回はここでEさんと交代になります。

楽勝だ...と思いました。自分自身の筋力が強くなっているのに対し、作業量が半分なので、前回までよりも楽にコンテナを空に出来るだろうと思いました。

交代していく内に、別の7~9㎏の冷蔵ポークの層になりました。凄く軽かったです。もはや肉体労働でも何でもないと思いました。事務作業だと思いました。

その後また17~19㎏の冷蔵ポークの層に入りましたが、特に問題ありませんでした。ウォームアップのような感覚でそのコンテナを空にしました。

作業量が半分という事もありますが、僕は自分の筋肉が強くなっている事を実感して嬉しくなりました。この日雇い生活を続けていく上で必須の、次の日筋肉痛を残さない、連勤可能な筋力の実現はすぐそこまで来ていると思いました。

コンテナ作業の後、ラップ巻きの方に回されました。他のコンテナを終えた人達も回されていたので持ち場には5人ほどつくことになり、パレット待ちの時間は先ほどより増えました。

時計は22:45を指していました。作業を開始してから2時間45分経っていることになります。僕は考えても無駄だと思いつつホストクラブでのバイトだったらと思ってしまいました。

ホストクラブだったら、後15分で閉店して、そこから片付けの作業に入ります。この時点でもう終わりが見えているという事です。やはり凄いバイトだったんだなぁ...と今さら考えても無駄な事を考えてしまいました。

そのようにして20分ほど、ラップ作業を続けていたら、その作業にも終わりが来ました。コンテナから荷下ろしてパレットに積んだ段ボールをフォークリフトが運んでラップを巻くという風に、コンテナとラップは連動しているので、コンテナ作業自体が終わったということです。

次のコンテナが来るのか、前回のように他の作業を指示されるのかどちらなんだろうと思っていると、1度倉庫の外の受付に来るように指示されました。倉庫内に忘れ物がないように、とも言われました。僕は、ん...?と思いました。

作業が終わったら通常ならば休憩の指示が与えられます。今回は休憩ではなく、受付に来るようにという指示。そして、「倉庫内に忘れ物がないように」...。何故倉庫内に忘れ物があってはいけないのか。それは「今日はもう倉庫内に戻ってくることがないから」...?それはつまり...まさか...。

受付に集められた僕達は管理者の方から「とりあえず今日は一通り作業が終わりました。時間が微妙なんですが、帰れる人はここで帰ってもらっても大丈夫です。作業がないことはないので、電車が無いという人は手伝ってもらえる事はあります。どうしますか?」と言われました。

まさかでした。時計は23:10を指していました。
3時間ちょっとで、終業。こんな事があるとは思いませんでした。本当に帰ってもいいのだろうか。給料はどうなるんだろうとも思いました。

どうしますか?と言われて、日雇い全員が、もじもじというか、誰か他の人の言葉を待っているようでした。僕が先陣を切るしかない...。僕は「あ、給料は全額もらえるんですか?」と管理者の方に聞きました。「もちろんです」と言われたので「あ、じゃあ帰ります」と言いました。様子を伺っていた他の日雇いも僕の後に続いて自分も帰りますと次々に言い出しました。皆帰る事になりました。

そんな訳で、給料をもらって帰り仕度をして、この日は終電よりも少し早い電車で家に帰る事が出来ました。奇跡のような出来事でした。どれくらいこれがレアなケースなのかはわかりませんが、たまにこういうことがあるようです。コンテナはトラックが運んで来るので、道路事情によってはコンテナが今日は到着しないなど、そういった事も関係しているのかもしれません。

奇しくも、ホストクラブのバイトを辞めて戻ってきた倉庫で、ホストクラブと同じような拘束時間でホストクラブよりも高い給料(9490円)を手に入れました。不思議な感覚でした。条件の良いバイトをし続ける夢を見ているようでした。

今日は美味しかった...と興奮しながら帰りました。しかし、ホストクラブとは違って倉庫でのこれはレアなケースなので、これを1度覚えてしまうと痛い目を見るかもしれないと思いました。基本は夜明けまで作業があると思って臨まなくてはいけません。

本日は歌舞伎町で見た一晩の夢がまだ続いてるかのような奇跡が平和島の冷蔵倉庫で起きたという話を書きました。本日の教訓はこちらになります。

「冷蔵倉庫にも奇跡は起きる」

お付き合いありがとうございました。次回も是非お楽しみ下さい。

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