横浜、真金町の平和湯の隣に『鴻楽』というラーメン屋があった

2005年3月、気になって訪れると休業が長引くという内容の張り紙に変わっていた。赤線時代からある中華料理屋。気にはなっていたものの店主は翌年87歳で亡くなり、結局、再開はならなかった。

東京のホテルで腕を振るっていたコックの息子さんが中華街で『鴻』という広東料理の店をやっている。

そして、凝った料理とともに、鴻楽チャーハンなど、親父のラーメン屋、鴻楽の味を引き継ぐ幾つかのメニューを出している。ああ、お父さんが好きだったし、尊敬し、感謝しているんだなと感じた。そして、親父だけでなく、この人もいい人生を歩むことができたんだなと。

横浜の中華街では、何故か外れの店に入ってしまうことが多い。高級店はともかく羊頭狗肉的な店が多いのも事実だと思う。広東厨房 鴻、今度、行ってみたいと思う。

(『鴻』のHPより転載)
「鴻」の物語

一九三五年、十六歳になる一人の広東の少年は大きな希望を抱き、汽船吉星号に乗り込みました。

はるばる大海原を越え神戸に上陸した彼は印刷所に職を得ました。折しくも日中両国は戦火を交えていた年代、苦難の日々を乗り越え、後に横浜へと移りました。

そして中華街の中華料理店に勤めるようになり、修練を重ね、料理の腕を磨き、やがて飲食業が終世の生業となったわけです。

戦後になり、中華街を離れて横浜市南区真金町へと移ると「鴻樂」という小さな中華料理店を開業しました。二十一世紀初頭に閉店するまで店は続きました。

「鴻樂」は夫婦で営む小さな店でしたが、数十年一日のごとく細々と営み続け、多くの人々に愛されました。二〇〇六年、店主は他界「鴻樂」の灯火は消えてしまいました。

やがてその次男は父の家業を継ぐことを決心し、二〇一五年横浜市中区石川町に「廣東厨房 鴻」という店を開きました。

「鴻」の開店はすなわち世紀を跨いだ「鴻樂」の復活を意味しています。廣東厨房「鴻」は鴻樂の味を引き継いでいるだけでなく、嶄新な料理をも創り出し、皆様のご来店をお待ちしています。


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