小樽運河が埋め立てられた後に、何故か急速に観光地化が進んだ小樽、銭湯はだいぶ少なくなった 2006年12月

画像1 小樽駅
画像2 柳川湯 小樽を最初に訪れた1981年3月は、運河埋め立てで町を二分する議論が行われていた。当時は観光で訪れる人は少なかったと思う。煤けた街に強く惹かれた。ただ、今は小樽市の人口の数十倍もの観光客が訪れる。観光事業は成功したものの、訪れる度に、もう訪れることはないかなと思うようになった。最後に訪れた時の銭湯の写真。
画像3 花園町のだるま湯
画像4 小樽の板谷商船のオーナー宅が温浴施設になっていた。今は極一部を残してマンションになっている。
画像5 南小樽駅
画像6 小町湯
画像7 手宮の赤線跡にあった富士の湯温泉
画像8 手宮の赤線跡の遺構
画像9 富士の湯温泉
画像10 梅ヶ枝町の遊廓跡界隈
画像11 玉の湯
画像12 火事で焼けた直後の梅ヶ枝湯跡
画像13 京の湯 ここは入りに行きたかった
画像14 南湯温泉、組合のHPから消えている。玉柳内に設けられている北のウォール街資料館の近く。
画像15 煉瓦煙突の亀の湯
画像16

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?