小樽運河が埋め立てられた後に、何故か急速に観光地化が進んだ小樽、銭湯はだいぶ少なくなった 2006年12月 15 ナカムラ_風呂屋の煙突 2020年5月23日 18:47 小樽駅 柳川湯 小樽を最初に訪れた1981年3月は、運河埋め立てで町を二分する議論が行われていた。当時は観光で訪れる人は少なかったと思う。煤けた街に強く惹かれた。ただ、今は小樽市の人口の数十倍もの観光客が訪れる。観光事業は成功したものの、訪れる度に、もう訪れることはないかなと思うようになった。最後に訪れた時の銭湯の写真。 花園町のだるま湯 小樽の板谷商船のオーナー宅が温浴施設になっていた。今は極一部を残してマンションになっている。 南小樽駅 小町湯 手宮の赤線跡にあった富士の湯温泉 手宮の赤線跡の遺構 富士の湯温泉 梅ヶ枝町の遊廓跡界隈 玉の湯 火事で焼けた直後の梅ヶ枝湯跡 京の湯 ここは入りに行きたかった 南湯温泉、組合のHPから消えている。玉柳内に設けられている北のウォール街資料館の近く。 煉瓦煙突の亀の湯 15 この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか? サポート