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イライラ雑記録

8月は7月に負けないために5回は記事を上げたいと思っていたので無理やり更新する。読み返すと7月の私は異常だ。異常なやつには負けたくない。それがたとえ自分自身でも。

昔、仕事が立て込んで肋間神経痛になったことがあったが、いまでは同じくらい仕事が立て込んでも、あるいはそれ以上の激務が襲ってきても、ただイライラするだけで、肋骨が痛みだすことはなくなった。もしかしたら、知らないところで病気が進んでいるのかもしれないが、いまのところ平気だ。面の皮が厚くなったんだと思う。心臓に剛毛が生えたのかもしれない。でもイライラはするので、こうしてNoteにビチクソ文章を書いている。

一度、明確に、これは人生終わったなぁと打ちのめされたことがあって、目の前が真っ暗になる体験をした。だから、いまも仕事が続けられているのは奇跡だなぁと思うときがある。不満だらけだし、イライラもしているのだが、ふと「私まだ仕事できてる、なぜ」と浴槽につかりながら虚空を眺める綾波レイ(仮称)のようにつぶやいたりする。綾波レイ(仮称)とのちがいは最近開き直りはじめているところだろうか。だけどイライラはしている。

なるようにしかならない。今朝、イライラを鎮めたくて、起きがけにバガヴァッド・ギーターを読み返してみたけれど全然ダメだった。「行為の結果の捨離」はこころに響いたが、朴念仁になることが一番エライみたいに読めてしまって、またイライラしてしまった。修行が足りないのだろう。

映画館で映画が見たい。そしてビチクソ感想文を書きたい。ビチクソ感想文を書いているときが幸せだ。日常のことなど書きたくない。現実を見つめるのはつらすぎるから。書いてるけど。

これは終わったと思ったとき、こころの支えになったのは大切な存在たちとの記憶や思い出のおかげもあるけれど、勇気と覚悟をくれたのは本の言葉だったりした。まさかとじぶんでも思うけれど論語のなかのエピソードに慰められた。いまも私のなかで闇を照らす灯火のように光っている。

孔子先生、政治を志すものの、実際のところエライ王様に重用されることはなかったらしく、弟子たちと諸国を練り歩いて旅をしていたらしい。弟子たちが旅のルートを相談したときの話が最高だった。この道をいくと山賊が出るらしいので、遠回りするか、しばらくここで逗留したほうがいいと弟子が提案すると「いやふつうにこの道を行くよ」といって皆をギョッとさせたという。「ここで強盗に襲われて死ぬようなら、天が私たちを見捨てたということで、まぁ私たちの志はその程度ってことでいいんじゃないかな、ははは」

まるで世界を人質に取ったような言葉。命を賭けているのではない。世界とじぶんを試している。もしどこかで死んだとしても、それは私たちじゃなくて世界が大したことないんだよと言わんばかりの態度。

私はそういうふうに読んだ。

世界なんて大したことがない。私はいまもイライラしながら仕事をしている。生きている。ありがたいことに。だれに感謝を捧げるべきなのだろう。おそらくすべてに。


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