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国破れて山河ありに結論はない

国がこわれるとはどういうことか。社会が崩れていくとはどんな状態なのか。国破れて山河あり。古代中国の話ではない。現代で「国が破れる」とはどういうことなのか。いろいろな文学を読み、歴史に触れてきたつもりだったが、まったく分かっていなかった。別世界の話だった。フィクションだった。いま、想像以上にひどいことなのだと思い知っている。

世界中でひどい内戦が起こっている。そのうちの一つの国と関わりがある。駐在していたこともある。どんどん戦いが激化していき、まさに国が破れてバラバラになりつつある。若者たちは外国に逃れている。戦闘の前線に駆り出されないために。そもそも戦いにいく大義がない。終わりも見えない。あかるい未来が想像できない。だから国を出ていく。街から若者は消えた。隠れているか、外国に逃れたか、どちらかだから。

日本人のわたしには参照するべき経験がない。たとえば「赤紙」だろうか。学生の頃、転向研究のレポートをまとめたことがあった。当時の日本では亡命や海外逃亡はありえない選択肢だった。赤紙が来たら逃げる。それは現実的な選択肢ではなかった。対外的な戦争と内戦では性質が異なるだろう。そして、日本は国民の同質性に特徴がある。単一民族神話だ。では、もっと前だったら参照できるだろうか。たとえば戦国時代。侍大将たちが争っている。民草はただ巻き込まれていく。国破れて山河あり。たとえ戦いに巻き込まれるにせよ、そこにはすき間がありそうだ。山へ逃げる。山人になる選択だ。ゾミアのような生き方だ。

現代で「国が破れる」とはどういうことか。国として体裁を整えていき、さまざまな恩恵が社会に属する人々に与えられるようになった一方、しわ寄せを食う人たちの環境は過酷さを極めている。その人たちにとって国は破れてしまっている。というか、たまたま破れていた裂け目に落ちこんでしまったのだ。だからといって「国」にかわって「山河」が受入れてくれるわけではない。むき出しの荒野に投げ出される。どうすればいいのか。

人間だって山河だ。人間だって自然の産物だ。だからこそ、こういう事態にいたっては人間の自然な感情、憐れみや優しさが試される。国破れて山河あり。制度や仕組みは追いつかない。時間がかかる。だけど思いやりはそれこそ自然と湧き上がってくる。それは人間がもっている自然だ。

すべてが壊れていく。崩れていく。社会システムが。人々のあいだにあった基本的な信頼が。

インターネットも電話も使えなくなる。銀行も使えなくなる。お金も使えなくなる。すべての行政サービスの機能が停止する。病院も停止する。物流がとまる。人の移動もせき止められる。仕事はなくなる。戦いに駆り出される。

現代において国が破れることの過酷さと残酷さ。この文章にとくに結論はない。

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