2か月の在宅勤務生活を振り返って

在宅になった時のことを後で思い出せるよう、メモを取っておくこととする。

自分の会社はないと思っていた

社としての方針からか、3月頃より顧客側の在宅勤務がちらほら目立つようになったが、我々に変化はなかった。

顧客先に常駐して勤務をしている以上、顧客の社内サーバにアクセスするためには通勤をする他なく、社内メンバーは向こう2か月は同じ生活が続くだろうと考えていた。

その一方で、外出時の必需品であるマスクの在庫は底を尽き、Amazonで高額転売されているページを見ながら、出勤しているのがどんどんとバカらしくなってきていた。「在宅勤務する人生に生まれたかった」とツイートしてみたりもした。

4月に入り、「在宅勤務に向けて契約を更新している」との朗報が届いた。メディアでは欧米諸国における甚大な被害が取り上げられており、SNS上では緊急事態宣言を切望する声が多く上がっていた頃だ。

そこからの1日1日は目まぐるしく過ぎていき、「実際在宅勤務をしたらどのように仕事ができるのか」、「今まで通りの作業は出来るのか」といった整理も曖昧なまま、在宅勤務に突入した。

前述したとおり、在宅勤務時の立ち回りが不透明だったこともあり、なるべく持っていたタスクを全て通勤できる期間中に片付けてきたので、当初はそこまで仕事はなかった。

また業務の関係上、各国からの申請を受けることでタスクが発生するため、世界的大流行と評されたCOVID-19の影響は大きく、特段タスクが上がることはなかった。

おそらく緊急事態宣言が解除されたら通常の勤務に戻るが、ここ2か月は新人教育だけでなく、自己研鑽にも充てられたので実りある時間を過ごすことが出来た。

体調の変化

3月に志村けんさんが亡くなった影響を受け、4月の報道は悲観的なものが多かった。
芸人さんや、俳優、スポーツ選手など名の知れた方々の「感染」が日を追うごとに報道され、
中でもバービーさんが、黒沢さんの性格に絡めてこのウイルスの危険性を呟いてくれていたため、よりその恐怖を身近に感じていた。
https://twitter.com/barbie_babiro/status/1246302729384820736?s=21
他にも阪神タイガース所属の藤浪さんの感染報道に触れ、咳や熱だけが発症を判断する基準ではないことを知ることになった。
こういった著名人の「感染」報道は「いつ菌を持ってきたかもわからないし、発症しても気付かない」ということをよりわかりやすく示してくれる結果となった。

SNS上でも政府批判だけでなく、政府を批判する人への批判など負のスパイラルが散見された。ちょうどお肉券・お魚券などの話が出ていた頃だと思う。

私はそういった状況を、より悲観的に受ける質で、早い話体調を崩した。

熱自体は37.2℃を超えることはなかったが、息苦しさ、頭痛、吐き気、倦怠感、寒気など、何かしらの症状が出る状況は続いた。

東日本大震災の時も眠れない夜が続いたことを思い出した。昔からこういった情報を受けると、ズンと気持ちが沈んでしまいストレスで自分の体を壊していた。

さらに今回は「ウイルス」という目に見えない敵に恐れていたせいで、ろくに外出もしなかったことも、ストレスを溜めていた要因だったかと思う。

それからはなるべく「コロナ 特効薬」など、なるべくポジティブなニュースを摂取するようにしていた。ネガティブな「突然死」なんてワードが出た時も「突然死 デマ」と根底を覆すツイートを見て安心したりしていた。

一時期は「2週間後、果たして生きているだろうか?」というネガティブな思考が脳内に充満し、遺書を書き出したりなど精神的にかなり参ってしまっていたが、こういう時に芸人さんは自分を助けてくれていた。

ラジオやテレビなどのメディアにとどまらず、SNS上やYoutube上で、コロナ禍におかれても「笑い」を提供してくれていたその姿勢を見て、前向きになれる自分がいたのは確かだった。

キングオブコントの水川かたまりさんの発言を引用するが、お笑いのある世界に生まれて本当に良かったと思う。

5月は、運動不足がたたり血行不良の症状が出た。決まった個所はないが、体のあちこちがピリピリと痛い。時には鎖骨、のど、胸、ひじ、つまさき。寝れないほど痛いわけではなかったが、不快であることには間違いなかった。「疼痛」という言葉もこの時初めて知った。母親と会話して知ることとなるが、一か月以上座椅子にローテーブルというスタイルで仕事していたのが良くなかった。

また、つい最近では冷蔵庫を開ける仕草で首を痛めた。ギックリ首というらしい。ピキっとなった感覚があり、そこから首は動かせなくなった。

手足がしびれたり熱が出ないことを祈りながら、安静に努めた。

最近は外出もするようになり、病院にも通うようになった。

ピリピリとした疼痛は続いていて、近々脳神経内科に勧められたMRIを受ける予定だ。

家族や同居者との関わり

両親には婚約者のあいさつをした2月以降全くあっていないが、ちょくちょくLINEでやりとりはしていた。また、ストレスが溜まってきていた時に久しぶりに電話をしたが、どこか心が休まる気がした。家族の声が自分にとって良い効果をもたらしてくれることを知った。

その電話の中でハンドソープの替えがないと伝えたときに、どこで、どんな値段を払ってまで用意してくれたのか判らないハンドソープを送ってくれた。

それからは自分が気に入ったコーヒーベースや使ってみて良かったアルコール除菌ジェルを送ったりした。Amazonは発送先住所を変えるだけでよいので良いコミュニケーションツールになった。

今、ゲーミングチェアに座ってこの記事を執筆しているが、このゲーミングチェアを買うきっかけになったのも母親との電話だった。

自分が中学の時、自宅にあったPCを使用する時のスタイルはデスクトップ型でローテーブルに座椅子で、当初の在宅勤務スタイルと一緒だった。

先の疼痛が血行不良によるものなのか、神経痛なのか、多少経験則があるかもと思い母に尋ねたとき、デスクトップPCを触っていた時に同じような症状が出たということを教えてもらった。

第三者の診断が医学的には必要なのだが、精神的な安堵をもたらしてくれるのは、より近い人間の経験なんだなと知るきっかけになり、その1時間後には今使用しているゲーミングチェアを購入していた。

同棲している彼女は在宅勤務ではなく1か月強、自宅待機となった。

自分がリビングで仕事をする関係で寝室にこもってもらうことが多く、不便をかけてしまったし、ミニマリストの彼女にとって自分の買い溜め癖で苦痛を与えてしまう局面もあった。

また、彼女はもともとインドア派ではあったが、それでも、日も家から出ないことや「彼は仕事をしているのに自分は何もしていない」という罪悪感が彼女を苦しめてしまう日もあった。その時に「あつ森」が閉鎖的な日々に刺激を与えてくれていて、島での日々の業務感くれたので、任天堂には足を向けて眠れない。

彼女はそもそもゲームをしてこなかった人生で、購入するかを聞いた時も「買ったって数日で飽きるからいいよ」と諭されていた。

ただ、あまりにも先の見えない生活が続いたので「気分転換に」購入すると今も毎日1時間は自分の島に入り浸っている。

特に「花を植えて育てる」ことにこだわっていて、日々何色の何が咲いただのまだ咲かないだのという理由で一喜一憂していた。「花の手入れ」といういかにも女性らしい趣味に没頭する姿に、新たな一面を見た気がした。

今は生活に「花」を導入してもよいかなと思っている。

最後に

在宅勤務に不慣れである弊害も経験したが、それ以上に在宅勤務の良さを知ることが出来た2ヶ月間だった。

人の目を気にすることなく、自分のペースで作業を進められる現在のスタンスが自分には合っている。

今後の人生の切り替えを考えるいいきっかけになった。

また、彼女に断りを入れてでも続けていた「外食」や「映画鑑賞」でストレスを発散していたんだなということにも気づいた。

こういった不要不急の外出は、医療従事者や薬学研究者の日々の苦労を思うとうかつには出来ないのが現状だが、特に気負いすることなく趣味の時間にふける生活に戻っていってほしいなと思っている。

近い目標としては、行く予定だった「さらば青春の光」の単独ライブに行くことを掲げておきたい。



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