垂れ流したい

中学生から引きこもりで、人と話すより文章で気持ちを書き殴っていた。

今はどちらかといえば口を通して喋ることの楽しさを知って、誰かと話すことのが好きであるが、そんな自分の根っこは結局テキストにあると思う。

中学の時から既にネットが盛んだったからこそ、何の変哲もない文章を発信できた。誰かが見るわけでもないし、誰宛てでもなく敢えて言うなら自分へ向けてなのだが、だからこそ適当に言葉を紡げた。

単純に言えばストレス発散。気持ちを文章にすることで、頭の整理と吐き出した思想が形となって、主観で生み出したものが客観性を帯びたような気がしたのだ。自己満足の具現化。引きこもっていても気持ちは溢れていたのであった。

そんなこんなで長い文章を書いてしまう癖がある。かといって語彙力があるわけではないので、口語調でスカスカでダラダラな文章だ。読みやすい人には読みやすいのかもしれない。逆も然り。ただただ僕が書きやすいということに尽きる。

最近、Twitterで書き連ねるに少々足りないな、と書きあぐねることが増えてきた。前述した通り、長文癖があるからだ。中身はないが、書き殴りたい。別に物書きでもないけれど、沸々と湧いてきた欲求が、昔の自分を呼び起こし、喋るより向いてるだろ、と吐き出す場所を求め始めた。

ということで思うがままに、文章を並べられるところをつくった。内容のジャンルは特に指定したくないが、メインのTwitterアカウントから紐付ける以上、ゲーム実況についても触れていきたい。触れていかなければならない、という面持ちである。
それでもスタンスは徒然なるがままに。

中学、と振り返って始めた文章だが、自分自身ゲーム実況と出会ったのも中学の時だ。年齢がバレるが2007年の事である。たしか。
文章人間の自分が、人が喋っている動画に出会い、そこに居心地の良さを覚えたのだ。

文章からはどうしても書き手の個性が出る(出てるよな?)と思うのだが、意図したわけではなく僕の文章は感情的な部分は少ないはず。自分自身を俯瞰したいのかもしれないが、なんだか冷たい人間にも思える。

そんな感情的な部分が少ないからこそ、人の喋り声に惹かれたのかもしれない。しかし、その喋りは文章人間の僕に馴染む語り口だったのだろうと今では思う。文章的、というか論理的で、どこか達観したような、冷めているような、斜に構えてるのか、とりあえず本人にとっては主観にも関わらず客観的に喋っているようなものだったと記憶している。

けれども誰かに向けてではなく思ったことをダラダラと、兄弟でふざけあいながらやったような、提示された遊び方以上に無限大に遊び尽くした思い出が蘇る、リビングで寝転がりながらやってる絵が浮かぶ、そんな喋りだった。

まどろっこしい表現をしたが、なんとなく自分が思い描く自由がそこにあって、共感を覚えると同時に、好きなゲームが流れている。どうみても動画としてはチープなのにそこがまたさらなる魅力に感じたのだ。
そして何より喋っている主は自分に似ている。感情の起伏の無さ、それでも秘めてるユーモアは主張したい。こんな風になりたいのか、既になっていたのか、不思議とゲームにとって雑音でしかないはずのその声に鬱陶しさは感じず、居心地の良さを見い出していた。

僕は高校にあがって、引きこもりを脱した。意外と喋ることが楽しめる人間だったんだと気づいたのも高校生の時だった。男子校だというのも良かったのかもしれない。

何より、自分の中にあったユーモアに、テレビやその時流行ってたネットの話題だけではなく、傍らにいつもその好きだったゲーム実況があって、自分に馴染んでいたから、他の人にはない会話を楽しめたのかもしれないと、今では思う。ゲーム実況の存在は当時ではかなりのどマイナーであった。

こうやって書き連ねている文章としての自分はどこに起源があるかは分からないが、どう考えても喋りにおいての起源は中学の時から見始めたゲーム実況なのだと思う他ならない。もう一つの根っことなっていた。

大学にあがって、沢山の人と喋るようになり(女の子とも喋るようになった)、他者の影響から社会性を持ち始めると、自分に元々備わってきた喋りは徐々に失われて、いつの間にか独自のユーモアめいたものも消えた。人生において大学では膨大な数の価値観や思想を得たが、個として存在していた自分は無くしてしまったと、社会にでてからは思い知らされている。
多分、大人になった。ということなのだろうな。

僕は大人になった今、ゲーム実況というものに回帰している。そして、さらにはこの文章をひたすら書き連ねる人間へと回帰しようとしている。このままいけば、他者の影響がない頃の土の中の自分に戻るのではないか。

自粛して引きこもりになっただけである。

自粛生活が終わりそうな雰囲気がプンプンしてきた。しかし、ここで掘り出した自分を大人になった自分へ今一度持ち帰ろうと思う。
せっかく久しぶりに見つけた自分はどうにも今の自分より輝きそうな気がするからだ。

まとめにはいるが、偶に文章を書きたくなったら書く。その場所をつくった。以上だ。

言っておくがこれからも学びもない、最初から終着点は考えてない文章になるので読む方は気をつけて。

動画よりは疲れるが、時間は奪わないのが、文字の良いところだ。

お疲れ様でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?